京都、シダレザクラの物語
ⅰ 桜あれこれ図鑑
寒さと温かさが交互にやって来て、いつの間にか、街に早咲きの桜が目につくようになりました。

『京都、シダレザクラの物語』は、桜シリーズの第五弾です。

3枚の写真は、嵯峨野の民家、花街の祇園に流れる白川、そして京都御苑のシダレザクラ。
シダレザクラは、遠くから見た佇まいや、光がさした花の色の変化、そばに寄って見る可憐さと……観る人の気持ちを飽きさせない、変貌自在な桜です。

「そう言えば、京都にはシダレザクラの木が多い。」どこかでそんな声を聞いたことがあります。
今回は、シダレザクラの名所を訪ね、その不思議な世界を覗いて見たいと思います。
その前に、ちょっとだけ桜の図鑑を開いて見ました。
雄しべがピーンと伸びたこの桜、ヒマラヤザクラといいます。

薄いピンク色の5枚の花びらは、私たちが良く知っているソメイヨシノにも似ています。
実は、ヒマラヤザクラの「ヒマラヤ」は、桜の故郷だったところ。
大昔、桜はヒマラヤから大陸を経て、ある桜は寒冷な気候に育ち、またある桜は暖かい気候に適応していきました。
日本の桜は、ヤマザクラ、オオシマザクラ、エドヒガンなど、およそ10種ぐらいの野生種(原生種)からスタートして、自然の交配や人為的交配で250から300の栽培品種が生まれたといいます。



写真は、そのヤマザクラ、オオシマザクラ、エドヒガンの花弁です。
並べてみると、色や花弁の形、葉っぱが少しずつ違っていますね。
この少しずつ違った野生種の桜から、日常に私たちがよく聞く桜も生まれてきました。
例えば、ピンク色の花弁が盛りだくさんの河津桜。

関東では、河津桜の開花ニュースが桜シーズンを告げる合図です。

その先祖はというと、野生種のオオシマザクラと写真の真っ赤な花弁が特長のカンヒザクラ(野生種)、河津桜の原木は今も静岡県河津町にあります。
もう一つソメイヨシノも。
写真は、高瀬川と哲学の道に咲くソメイヨシノです。京都の桜の名所にもソメイヨシノは本当に多いんですよ。


ソメイヨシノは、江戸末期、植木職人さんによって野生種のオオシマザクラとエドヒガンからつくりだされました。
種から自分の力で成長できないソメイヨシノは、「接ぎ木」でしか新しい命を残すことができません。
それがクローンと言われる所以ですが、それでも全国の街路樹や公園の8割以上はこのソメイヨシノだとか。本当に桜の不思議な世界です。
ⅱ 京都、シダレザクラの風景
さて、いよいよシダレザクラの番です。
野生種の中で、おそらく最も長寿で高さが20m以上にもなるエドヒガン桜。そのエドヒガンの中から突然変異によって ″ 枝垂れ ″ たものがシダレザクラと呼ばれるようになりました。
といっても、本当に様々なシダレザクラがあるので、枝垂れている桜を「シダレザクラ」と呼ぶ場合もあるそうです。
写真は、上賀茂神社の斎王桜。

上賀茂は京都で最も古い神社で、あの京都三大祭り・葵祭でも有名です。
午年の今年は、馬にご縁のある神社として色々な行事が催されています。

樹齢150年、高さ10m、幹回り2.57mの桜は、″斎王″ の名のとおり、伊勢神宮や上賀茂神社に巫女として奉仕した未婚の内親王や女王からつけられました。
寿命の長い斎王桜は、神社の歴史を伝える生き字引ですね。
こちらは、大石桜。
忠臣蔵の大石内蔵助を祀った大石神社には、境内の玉垣から地面につかんばかりの大きく枝垂れた桜が観られます。

1702年(元禄15年)12月14日は、主君の仇討のため赤穂浪士が討ち入りを決行した日。
内蔵助は討ち入りの数か月前まで、ここに隠棲して機会をうかがっていました。
神社の御神木、大石桜は高さ9.5m、樹齢80年です。
ということは、浪士たちはその雄姿を見ることはできなかったんですね。
でも、「大願成就」をお願いする神社にふさわしい老桜は、四十七士の仇討のことも知っていたかのように、訪れる人を歴史の中にいざなってくれます。
油土塀からベニシダレが顔を覗かせるのは、龍安寺の石庭です。
75坪の庭園に白砂の砂紋と15の大小の石が配置された枯山水を見ようと、世界から多くの観光客が訪れます。

1993年秋からはじまったJR東海ツアーズの「そうだ京都、行こう。」では、シダレザクラが何度も取り上げられました。

平安神宮、善峯寺、毘沙門堂、醍醐寺、東寺、龍安寺、退蔵院など。
千年以上続いた都には、樹齢の長い、そして何代にもわたって咲くシダレが相応しい……誰もがそう感じているのかもしれません。
とても華やかシダレザクラの風景をお届けします。
これは、京都御所がある御苑のシダレザクラ。
少しずつ花弁が違うシダレがダイナミックに咲く姿は圧巻です。

よく見ると、花が縮れるように咲いているもの、紅の色がきれいなもの、幾重にも重なった八重咲きのもの……本当にシダレも様々。

やがて、満開の桜が散り始めると、あたりは花吹雪で埋め尽くされてしまいます。
そして、平安神宮・神苑のベニシダレザクラ。
神宮は、1895年(明治28年)に平安遷都千百年を記念してつくられました。
建物は、794年に桓武天皇が造った平安京を実物サイズの8分の5にしたものです。
神苑のシダレザクラは、谷崎潤一郎の『細雪』にも登場しました。

シダレザクラは、その優雅な様子から、現在も様々な芸術作品と一体化しています。最近は、『平安神宮紅しだれコンサート』が注目です。
ところで、『細雪』のマキオカ四姉妹が愉しみにしていた桜はこんな風に描かれていました。

「今年はどんな風であろうか、もうおそらくはないであろうかと気を揉みながら、毎年回廊の門をくぐる迄はあやしく胸をときめかすのであるが、今年も同じような思いで門をくぐった彼女達は、忽ち夕空にひろがっている紅の雲を仰ぎ見ると、皆が一様に「あー」と、感嘆の越を放った。」

夕空に、ベニシダレが満開に咲く様子は、まさに「紅の雲」だったんですね。
谷崎が『細雪』を「中央公論」に連載しはじめたのは1943年。
その後、軍部の弾圧で連載は禁止、ひそかに執筆を続けた上巻は1944年に書き上げられました。
シダレザクラは、色あせた過去の記憶も鮮やかに蘇らせてくれる頼りになる人生の相棒でもあります。
ⅲ 編集後記 - 祇園枝垂桜 -
京都には、その桜を見守り続けた一人のご老人がいました。お名前は、16代目・佐野藤右衛門さん。

実は、この企画を進めていた2025年の秋、10月31日に老衰のため97歳でお亡くなりになられました。
いつも笑顔を絶やさず桜のお話されている時は、子供のような優しい眼差しだった藤右衛門さん。
藤右衛門さんが書かれた『桜守のはなし』(講談社)には、桜の面白い話がたくさん出てきます。ちょっとだけご紹介します。
これは、藤右衛門さん愛用の「桜守の七つ道具」。
藤右衛門さんは全国の桜を見て歩くのに、いつもこの七つ道具を持っていたそうです。
何となく使い道が想像できるものあるし、これって一体何に使うの?と思ってしまうものも。

例えば、この注射器。藤右衛門さんによると桜の手入れは夏が勝負。

暑い季節、生い茂った葉っぱに虫が付かないよう、この注射器を使います。
注射器にお酒やたばこの煙を詰め込み、桜木の小さな穴に吹きかけます。
毛虫たちは酔っぱらったのか、穴からごそごそと出てきて、これで退治は完了。

青々と葉っぱが茂った、写真の円山公園シダレザクラも藤右衛門さんに命を救われた桜でした。
最後は、藤右衛門さんとシダレザクラの物語をお届けします。
八坂神社奥の円山公園に咲く樹齢80年の桜は、正式名称を「一重白彼岸枝垂桜(ひとえしろひがんしだれざくら)」といいます。

京都にお花見に出かけタクシーの運転手さんに、「今、どこの桜が綺麗ですか?」と聞くと、「円山公園のシダレが見頃ですよ」とか、「円山のシダレも終わったしね…」と返ってくることがあります。
地元の人に″ 祇園枝垂桜 ″ と呼ばれ、あまりにも有名なこの桜、実は円山公園の2代目なんです。
初代のシダレザクラは、戦争のさなか手入れが行き届かず、1947年に枯死しました。
戦後、円山公園の桜の復活を検討していた時、枯れた老桜の孫にあたる桜が藤右衛門さんの自宅に育っていることがわかりました。
お父さん(15代目)が、藤右衛門さんの生まれた1928年にその誕生を記念し、老桜の種を桜畑に植えていたんです。

百くらいの芽が出たそうですが、戦後まで無事に残ったのは4本の桜木。
京都市に寄付された3本の桜木の中で最後に残ったのが、この桜でした。
ところが、上手く育っていた桜木に、1950年9月1日、「ジェーン台風」が直撃します。
心配になった藤右衛門さんが円山公園に駆け付けると、小さな丘の上の桜は風雨で今にも折れんばかり。
夢中で柵を乗り越え、桜木を全身で覆うように両手で幹を抱えたそうです。
その時の様子を藤右衛門さんは、「私は大地にグンと両足をふんばって桜の支えになり、こんりんざいはなすまいとあらんかぎりの力をふりしぼりました。そして神仏に祈り、風雨が静まるのを願ったのです。」と書かれています。(『桜守三代』平凡社新書)
そして、移植から3年目の1952年春、ついに円山公園のシダレザクラにはじめての花がつきました。
藤右衛門さん、どんなに嬉しかったことでしょうか………
2026年春……祇園時垂桜は、はじめて花をつけてから75年目を迎えます。毎年花のつき方が違うというシダレザクラ、今年はどんな姿を見せてくれるのでしようか?
藤右衛門さんも、きっと天国から愉しみにしていると思います。
