聖護院だいこん
ⅰ 師走の風物詩
南座の『吉例顔見世興行(きちれいかおみせこうぎょう)』を前に、11月26日、出演者の看板が掲げられました。
看板があがると、四条大橋のたもとは師走の風物詩を一目見ようと見物客が集まってきます。
この行事、「まねき上げ」と言われています。
縦1.8m、横30cmほどのヒノキ板の上部には庵形(いおりがた)と呼ばれる家の屋根の形をしたものと家紋が書かれています。
独特の文字は、勘亭流(かんていりゅう)という江戸時代の書体になるそうです。
今年の顔見世興行は、十三代目市川團十郎さんの襲名披露公演にもなっていました。
写真のまねき看板の一番下の左端に、市川團十郎さん、長男の市川新之助君、長女の市川ぼたんさんの名前も見られます。
南座に、いつにも増して華やかな師走が訪れていました。
ⅱ もう一つの師走の贈り物
実は、このひと月ほど前、桜井旬は『京都スケッチ』が師走にお届けする″ 贈り物″ を探して、久御山(くみやま)町役場を訪ねていました。
「くみやま」?
どこかで聞いたことがあるような? そう思われた方もいると思います。
そうです。『巨椋池(おぐらいけ)の風景』(2023年11月8日投稿)でご紹介した田園風景の大パノラマ、あの京都と大阪の台所を賄う穀倉地帯「くみやま」です。
巨椋池の取材で訪れた久御山排水機場からそんなに遠くないところに、実は京都の伝統野菜として有名な「聖護院だいこん」が育てられていることを後からお聞きしました。
毎年11月から出荷が始まると聞いていたのですが、どうも今年の出荷は一ヶ月ぐらい遅れる様子。
それでも「聖護院だいこん」を見たいと、畑へ行くMAPをいただいて1号線をひたすら道なりに、一時間ほど。
ようやく辿り着いた東一口という「聖護院だいこん」の畑がある場所に洗い場を見つけました。
洗い場とは、大きなだいこんの出荷が始まると、農家が総出でだいこんのお化粧直しをする場所です。
でも今は閑散として………だいこんの影も見当たりません。
洗い場を過ぎ、九条ねぎや茄子畑を過ぎると、見通しの良い一面に濃い緑の畑を見つけました。
これが「聖護院だいこん」? 確証をもてないまま、遠くで作業をしていた農家の方のところまで駆けて行きました。
間違いなく、このギザギザした葉っぱが「聖護院だいこん」とのこと。
葉っぱをめくって白くてまだまだ大きくなるだいこんを見せてもらいました。
「あと一ヶ月もしたら、お店に出るよ。」
人なっこい日に焼けた笑顔のおじさんにお礼を言って、東一口を後にしました。
ⅲ 大根炊き
それから、一か月。京都に師走ムードが広がる中、とうとう待ちに待った日がやってきました。
12月7日、上京区の真言宗智山派の大報恩寺(だいほうおんじ)で「大根炊き(だいこだき)」が行われる日です。
久御山の農家の方が「聖護院だいこん」の出荷日だと教えてくれた頃とぴったり重なっていました。
本堂へ向かう参道には、お祭りの縁日のように、お餅やお煎餅……参拝客を愉しませてくれる品物が並び始めました。
このお寺は、別名・千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)と呼ばれています。
北野天満宮のそばにある古刹に一年で一番忙しい日がやってきました。
そして、本堂の少し左手に、見つけました!!
まんまると大きくなった「聖護院だいこん」です。
あの日、久御山の大きな畑にギザギザした葉っぱを茂られせていただいこんは、こんなに大きくなっていました。
直径は20cmぐらい。重さは3kg。ちょっと抱えるとずっしりと重みが伝わってきます。
無病息災、健康長寿を大根炊きにお願いするこのお寺では、釈迦如来をあらわす梵字(ぼんじ)の「ハク」という字が書かれていました。
食用の筆で書かれた梵字の「聖護院だいこん」は長だいこんや油揚げと一緒に直径1mもある大きな鍋で炊き込まれます。
ぷーんと何とも言えない香りが後ろの方からしてきます。
テントの中で檀家の方たちが大きな器に「聖護院だいこん」を手際よく振り分けていました。
この季節、京都では幾つかのお寺で大根炊きが振舞われます。
東山法住寺、大原三千院、鳴滝了徳寺、嵐山鈴虫寺………など。
ただ、紅葉がひと段落して寒い季節に行われる行事なので、なかなか地元の方でないと大根炊きに遭遇出来ないのも事実です。
「聖護院だいこん」を食べてみました。しょうゆと昆布出汁で煮込んだだいこんは、ほくほくしています。
あんなに大きな鍋で煮込まれていたのに、歯ごたえはとてもしっかりしています。
一切れを噛んで口の中に入れると、まず口の中がびっくりしてしまいます。笑
そのうちだいこんの甘みがふわーっと広がってきます。
みなさん、振舞われた大きな器を両手で持って、ふーふー言っていました。
そして、いつの間にか、すっかり静かになって、ほくほくと幸せそうな笑みを浮かべています。
ようやく出会えた「聖護院だいこん」。京都のもう一つの師走の風物詩でした。
ⅳ 編集後記
最後は「聖護院だいこん」にまつわるお話です。
京都御所から鴨川を超えて少し東の方角に行くと、熊野神社の交差点を過ぎたところに聖護院という地名がでてきます。
写真の聖護院門跡があるこの一帯には、「聖護院」と名前がついたものが幾つもあります。
京都を訪れて「聖護院」と耳にするのは、きっと「だいこん」よりも「八ツ橋」。
修学旅行の時に必ずと言っていいほどお土産に買った、あの「聖護院八ツ橋」の本店があるのも、この場所です。
お店の歴史は古く、創業は1689年。松尾芭蕉が「奥の細道」を書いた頃、「八ツ橋」のお菓子は生まれていたんですね。
では一体、わが「聖護院だいこん」はどんな風に誕生したのでしょうか?
聖護院門跡さんを5分ほど東に歩くと、写真の金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)というお寺があります。
このお寺は、江戸から明治に変わる幕末に会津藩の松平容保(まつだいらかたもり)が京都守護職として陣を置いた場所として有名です。
実は「聖護院だいこん」は、容保がここに陣を置く少し前の文政年間(1818-1830)に尾張からこのお寺に奉納された長だいこんが始まりだったと言われています。
お寺からだいこんを譲り受けた田中喜兵衛さんという農家が品種改良を続け、はじめは長いだいこんが短くなり、やがて太く短くなって、ついには今のまん丸な「聖護院だいこん」が誕生したそうです。
苦みや辛味がなく、ほんのりとした甘みの「聖護院だいこん」。
肉質がしっかりしているのでじっくり時間をかけて煮炊きしても煮くずれしません。寒い京都の鍋物やおでんには大切な一品です。
P.S. 写真の3本の「聖護院だいこん」は、久御山町役場のホールに展示されている模型です。
11月上旬、まだ出荷が始まらない時期、ここから、『聖護院だいこん』がスタートしました。役場の受付の方にお聞きしたら、たまたま通りかかった福祉関係の方、次に出てきた産業振興の方、JA農協の方………いろいろな方が出てきてはお話をしてくれました。
「聖護院だいこん」は、久御山と京都の皆さんの本当に自慢の一品なんですね。
最近では「聖護院だいこん」を作る農家さんが減ってきていると言われます。京都の冬の味覚 「聖護院だいこん」が、来年も、その次の年も、ずっと食べれるといいですね………。