清水寺の魅力
ⅰ 清水寺。
外国人が日本の観光地を紹介する『訪日ラボ・口コミコム』というサイトがあります。その中に、清水寺のことを書いたこんなコラムを見つけました。 ( https://kutikomi.com/ )
This place is worth the hike.
As you are walking up make sure to grab snacks from the street vendors.
Once you are at the temple it will be crowded take your time to enjoy all the wonderful architecture and nature surrounding you.
「清水寺は、ハイキングにふさわしい場所だよ。参道を登りながら、露店でスナック(お饅頭やお煎餅、ソフトクリーム)を買ったらいい。頂上のお寺や清水の舞台は混んでいるけど、素晴らしい建築物や自然を愉しんでね。」
☆参道を登ると、一番最初に出会う、仁王門と三重塔
コラムを書いたのは、フロリダからやって来たアメリカ人。
たしかに、いつも混んでいる清水寺です。
でも、コラムにあるように、ここは、露店の「スナック」に思わず夢中になったり、素晴らしいお寺の建物を鑑賞して自然を満喫できるお寺です。
☆「清水の舞台」につづく回廊
清水寺と言うと、学生時代の修学旅行を思い出す方もいると思います。
黄金水、延命水と呼ばれる『音羽の滝』
今回の『清水寺の魅力』は、″ 誰もが知っている清水寺 ″ を、再発見しようという企画です。
早速、「清水寺堂塔伽藍配置図」をご覧ください。
創建は778年。
大和の国、興福寺のお坊さんだった延鎮が開いた十一面千手観音菩薩を本尊とする北法相宗(きたほっそうしゅう)のお寺として始まりました。
広い境内には、仁王門、三重塔、音羽の滝、子安塔など、歴史的建築物が数多く残されています。
その中でも、清水寺と言えば、この建物をイメージすると思われるのが、「清水の舞台」。
よく、思い切って物事を決断するのを「清水の舞台から飛び降りるつもりで」と言ったりします。
錦雲渓の崖に突き出るように建つ舞台の高さは12m。欄干から下を覗くと、思わず足がすくんでしまいます。
境内にある成就院の言い伝えによると、1694年(元禄7年)から1864年(元治元年)の間に200数十名の人が飛び降りたとか。
そして、30数名の方が亡くなったと言われています。
今では想像できないのですが、昔は、信仰心の深さから、病気の治癒の願掛けで、観音様に命を預け舞台から飛び降りたと言われています。
歴史の重みを感じる舞台ですが、どうしてこの舞台が造られたのか、本当のところはわからないようです。
それは、創建から今日までの1250年ほどの間に、全焼の火事が10回以上も起きたため、舞台を作った記録がほとんど残っていないという事情からのようです。
清水寺の学芸員をされている加藤眞吾さんの本に、こんなことが書かれていました。
山の上に建っている本堂は創建当時からあまり広くなく、参詣者が増えてくると、手狭な本堂の拡張が必要になった。
ところが、本堂の後ろに建つ、鎮守社の地主神社を動かすことも出来ず、結局、崖に張り出すように本堂を拡張しなければならなかった。(「清水寺の謎」祥伝社黄金文庫)
さまざまな伝説が残る「清水の舞台」ですが、舞台を下から見上げるとこんな感じでした。
樹齢400年以上のケヤキの大木で造られた舞台は、くぎを一本も使わない「地獄組み」という工法で作られています。
くぎを一本も使わないのに、何百年もの風雪に耐えている舞台。
その姿に、ちょっと圧倒されました。
そう言えば、弁慶と牛若丸が戦ったのは五条大橋ではなく、この舞台だったという伝説もあるとか。
ⅱ 「坂」と「参道」の魅力
清水寺は、東山三十六峰の一つ、音羽山(おとわやま、標高242.5m)の中腹、標高が120mから130mぐらいのところにあります。
本堂まで向かう参道には、食べ物屋さんやお土産を買うところがたくさんあります。
そして、どのルートを通って ″ ハイキング ″ するかによって、清水寺の魅力も変わってきます。それは、坂道が幾つもに分かれているからです。
☆左は「五条坂」、右は「茶わん坂」
まずは「五条坂」。京都駅から五条通を歩いて清水寺に向おうとすると、この坂が待っています。
坂を登ると、写真のように、左がそのまま登る「五条坂」と、 “右 清水ちかみち ″ と書かれた「茶わん坂」に分かれます。
☆「茶わん坂」には、老舗の陶器店が軒を連ねます。
″ ちかみち ″ と書いていますが、陶器が好きな方には、かえって「とおいみち」になるかもしれません。
それから、2つの坂とは別に、「清水坂」というのもあります。
その場所は、「五条坂」より少し北の、松原橋近く。
ずいぶん昔、この橋が、五条大橋だったことがあります。いにしえの参拝者は、きっと「清水坂」を登って参拝したんですね。
″ 今流 ″ の清水参拝は、二年坂と産寧坂(さんねんざか)を通るコースかもしれません。
☆二年坂
この2つの坂を通る清水寺への散策は、こんなイメージです。
まず、四条河原町でショッピングをして、八坂神社に参拝➡
おみくじで運だめしをしたら南門へ➡今までの人混みが嘘のように閑静な住宅街が続きます。➡やがて、秀吉の正妻ねねで有名な「ねねの道」と高台寺にぶつかります。➡そして、その先が「二年坂」です。
「二年坂」は、清水の参道とは一味違った面持ちです。
八坂庚申堂のくくり猿
ちょっと寄り道をすると、「二年坂」の近くに「くくり猿」で有名な八坂庚申堂もあるので、パワースポットで運気を高めるのも一案です。
風情の残る「二年坂」を過ぎると、「産寧坂(さんねいざか)」になります。
産寧坂(三年坂)
その名前の謂れは、こんなところに。
清水寺にある子安観音は、昔から、安産の神様でした。
「お産が寧か(やすらか)でありますように」と祈願するため、たくさんの女性がこの坂を登ったそうです。「産寧」というユニークな呼び名はそこからつけられました。
「産寧坂」は「三年坂」と呼ばれることもあります。
「三年坂」で転ぶと、″ 三年以内に死ぬ。とか、三年の寿命が縮まる ″ という、あまり嬉しくない言い伝えを聞かれたことはありますか?
この伝説は、和歌山市の「三年坂通り」が有名らしいのですが、その昔、京都の人も、転ばないようにと、「三年坂」を登るときは、お守りとしてひょうたんを持参したと言われています。
どうして、ひょうたんかというと、もし転んでも、魂をひょうたんが吸い取ってくれるからだとか。
「産寧坂」を無事に登ると、お寺のメインストリート「清水坂」に合流します。
参道は、これまで以上に「スナック」やお土産物屋が溢れています。
上の写真は、神戸牛や宮崎牛を串にさしたもの。
下は、「タコしそ」に「いかあげ」、「えびふきよせ」に「野菜かきあげ」のお店です。
本当に多種多彩、どんなものも活きに使ってしまう京都人のタフさがありますね。
ところで、この参道にはもう一つ楽しみがあります。
それは、登ってくる途中に見える「八坂の塔」です。
☆八坂の塔
正式な名前は法観寺(ほうかんじ)と言って、お寺の創建は京都に都が移されるもっと前なんです。
不定期なのですが、参拝者が建物の中に入ることが出来る日本で唯一の五重塔とも言われています。
坂から眺める八坂の塔は、とっても絵になります。
海外のガイドブックにも紹介されているらしく、一番の撮影スポットは、今日も外国旅行者で賑わっていました。
さて、どの坂を登って清水寺を目指すのか、思案のしどころですね。
清水寺の参道は、お祭りの露店を歩くような愉しさに溢れていました。
ⅲ 編集後記-四季の清水寺-
フロリダからやって来たアメリカ人が感じた「お寺や建物」の魅力、そして坂道の参道で繰り広げられる「スナック」や「お土産」の愉しさ、そして彼が最後に書いていたのは、「自然」でした。
秋の紅葉と、春の桜の季節をご紹介します。
紅葉の季節。
☆紅葉から顔を覗かせる「清水の舞台」
清水の舞台から望む音羽山は、真っ赤に紅葉したモミジがとても綺麗です。
☆舞台からの眺め
シイやカシ、ブナやナラの常緑樹が多い音羽山の中で、落葉するモミジはひと際鮮やかで、「清水の舞台」は、秋の深まりを感じさせてくれます。
万葉集や古今和歌集に歌われる音羽山の秋は、真っ赤なモミジだけではありません。
落葉するまで、オレンジ色や黄色の色をずっと見せてくれる木々もあります。
「ねねの道」の階段を覆う黄葉もその一つ。
万葉集に歌われる「紅葉」は、本当は「黄葉」だったとか。
ちょっと離れた哲学の道の法然院さんの黄葉と並んで、ここはお勧めのスポットです。
そして春。
三重塔や仁王門、子安塔のソメイヨシノが満開になると、音羽山はとても華やかになります。
清水寺は緩やかな坂道が多いお寺。
桜と建物が、私たちの目線から高く見えたり、低く見えたり。
よく知っているはずの三重塔や仁王門が、また違った風景に感じられる瞬間です。
この写真は、参道から「産寧坂」へと続く階段に咲くヤエベニシダレです。
シダレザクラの寿命は、長いものだと樹齢500年や600年もあるそうです。
もしかしたら、幕末に活躍した西郷隆盛や坂本龍馬も、この桜を眺め、茶店のお団子を口にほおばっていたかもしれません。