御朱印の愉しみ
ⅰ お寺や神社が多い日本
ちょうど元号が令和に変わる頃、旅先の記念に御朱印をいただくようになりました。泉涌寺(せんにゅうじ)の御朱印もその時期にいただいたもの。
☆ 泉涌寺の御朱印。「御寺」と呼ばれる皇室の菩提寺。
御朱印をいただく作法もよくわからないまま、朱印所役の流れるような筆運びに見惚れ、初穂料を収めることも忘れてしまったことを思い出しました。
☆ 仏光寺の御朱印。毎年変わる、絵と言葉。
今回の『御朱印の愉しみ』は、これから御朱印をいただく方に桜井旬の失敗談も交え、御朱印のあれこれをお届けする企画です。
ところで、全国にどのくらいのお寺や神社があるか、ご存知でしょうか?
文化庁から毎年発表される『宗教年鑑』によると、お寺は76,699、神社は80,847。
どこを歩いても、お寺や神社に遭遇する京都。きっと、一番その数が多いと思っていたのですが……。
実は京都のお寺の数は5番目(3,058)、神社は17番目(1,761)ぐらい。京都より、まだ多い府県があったんです。
それはどこかと言うと、お寺の上位3位は愛知県(4,533)、大阪府(3,369)、兵庫県(3,284)。神社は新潟県(4,679)、兵庫県(3,860)、福岡県(3,410)でした。
いずれにしても、全国にこんなにたくさんのお寺や神社があります。日本人の信仰心の深さを物語る一面ですね。
ⅱ 御朱印をいただく
御朱印は、正式に「御納経御朱印」と呼びます。本来は、経典を写経した後に、その証として受け取った証明印のようなものでした。
☆ 二尊院の御朱印。小倉百人一首ゆかりのお寺。
印刷機のなかった昔の時代、参拝者に写経をしてもらうことは、お寺としてとてもありがたいことだったようです。
今でも、写経をしたお返しに御朱印を渡す習慣が残っているお寺もあります。でも、多くのお寺では、御朱印は参拝の証に変わっていきました。
御朱印には、どんな事が書かれているのでしょうか?
安楽寺の御朱印をご覧ください。御朱印帳に描かれた2枚の謎の美女のお話は後からでてきます。
はじめに、右上の「奉拝(ほうはい)」という字。「謹んで拝んだ後に、御朱印をいただきました」という意味があります。
☆ 安楽寺の御朱印。哲学の道・鹿ケ谷のお寺。
「いただきました」と過去形なのは、御朱印はお寺に参拝し一通りの作法を終えた後にいただくものだからです。
はじめの頃、つい先に御朱印をお願いして、″ はじめにご参拝ください ″ と言われたことを思い出しました。
「奉拝」の背景にある朱色の印は、「寺院ゆかりの印」です。
☆ 安楽寺の御朱印帳「松虫・鈴虫」。
安楽寺は浄土宗の開祖法然の弟子が念仏の道場として結んだ草庵が始まりです。
「圓光和順大師」は、天皇から法然上人が賜ったものでした。
御朱印の真ん中には、御本尊名や御本尊を安置するお堂の名称や宗祖が書かれます。(ここでは、安楽寺の宗祖・法然上人)
朱色の菱形の印は「三宝印」と言って、「仏」「法」「僧」「宝」の四字を刻んだ印です。
そして、左上に安楽寺の住所・鹿ケ谷、左下に「寺院名と寺院名の印」、右下に「参拝年月日」が書かれています。
お寺によって少しずつ異なりますが、御朱印はこんな配置になっています。
ところで、先程の謎の美女のお話。御朱印の左上、「松虫・鈴虫両姫之墓所」という印を読み取れますか?
☆ 安楽寺のもう一冊の御朱印帳。
安楽寺には、松虫と鈴虫のお墓があります。御朱印帳に描かれた二人の美女が松虫と鈴虫。
二人は後鳥羽上皇の女官でしたが、故あって出家します。その事を怒った上皇は、手助けをしたこのお寺の開祖、住蓮と安楽を処刑します。流刑から戻った法然は二人の弟子の死を悲しみ、ねんごろに弔ったと言われます。
御朱印には、お寺や神社の様々な歴史や逸話が残されているんですね。
ところで、一見、同じように見える御朱印も、お寺と神社では少し違います。晴明神社と熊野若王子神社の御朱印をご覧ください。
☆ 晴明神社の御朱印。陰陽師・安倍晴明が有名。
御朱印は、右上に神社が鎮座する場所や「奉拝」の字。真ん中に神社名と印が書かれ、左下に「参拝年月日」。
お寺に比べるととてもシンプルな感じです。
晴明神社の「神社ゆかりの印」は、まさに陰陽師の星マーク、熊野若王子神社には「八咫烏(やたがらす)」です。
ちょっと脱線しますが、星マークは五芒星と呼んで、陰陽道では魔除けの呪符とされています。
☆ 熊野若王子神社の御朱印。
一方の、八咫烏(やたがらす)。神社ではよく見かけますね。日本神話に登場するカラスで、導きの神です。
八咫烏は日本サッカー協会のシンボルにもなっています。
八咫烏の足がどうして三本なのか? 三本は天と地と人を表し、神と自然と人が同じ太陽から生まれた兄弟とする説などからきているそうです。
それから、ちょっと変わったところでは、織田信長で有名な本能寺の御朱印。
☆ 本能寺の御朱印。
真ん中に「南無妙法蓮華経」というお題目を書きます。
ここでは、御朱印と呼ばずに「御首題(ごしゅだい)」と呼ぶそうです。
1582年、織田信長が滞在していた本能寺は、明智光秀の焼き討ちによって焼失し、本能寺は秀吉によって、寺町京極に移されました。
☆ 建勲神社の御朱印。
お寺と直接の関係はないと思いますが、「京の四神」の一つ、″ 北の玄武 ″こと、 船岡山の建勲神社には、あの「人間五十年……」を舞った信長のこんな御朱印もありました。
ⅲ 編集後記 - 御朱印の愉しみ -
最後は、御朱印の愉しみを『京都スケッチ』の「自然」の中からお届けします。
【 城南宮 】 四季を通じ花が絶えない城南宮。「花暦」という言葉があるぐらい、一年を通じて桜、山吹、ツツジ、藤、かきつばた、桔梗、萩、りんどうの花を楽しめます。
☆ 城南宮の御朱印。
2023年3月29日に投稿した『梅香る』の取材のため、城南宮を訪れたのは2月27日。例年だと、苑内に満開のしだれ梅が咲き誇っているはずでした……。
ところが、この日の梅は三分咲き。シャワーのように降り注ぐ梅を、ついに撮影することはできませんでした。
それから10日ほど経って、ようやく撮影できたのが写真のしだれ梅です。真珠のネックレスがはじけたように梅は青空に広がっていました。
梅と言えば、天神さんの愛称で親しまれる北野天満宮が有名です。
天神さんの梅と一緒に城南宮のしだれ梅も無事、『梅香る』に収まり、ほっと。
神様に罪はないのですが、御朱印帳の中のしだれ梅を見ると、思うようにいかなかった梅の季節を思い出します。
【 祇王寺 】 友人から京都旅行の相談をされ、つい勧めてしまうのが″ 春の桜 ″ と ″ 秋の紅葉 ″ です。
☆ 祇王寺の御朱印。
でも本当は、新緑の季節が一番いいかな?と迷うことがあります。
嵐山には、竹林の小径や常寂光寺、二尊院など新緑のスポットがたくさんあります。
その中でも、祇王寺は絶対に見逃すことができません。
早朝の祇王寺。しーんと静まり返った境内に小鳥のさえずりが聞こえました。
青もみじも見事なのですが、新緑の苔が放つ神秘的な存在感に圧倒されてしまいます。
そこは、時計の針が止まってしまった空間のよう。
でも、祇王寺の御朱印を見ていて思い出すのは、意外にも、そんなお寺の幽玄さとはミスマッチの、ある風景でした。それは、お堂に祀られた祇王と祇女、仏御前、そして平清盛の像。
当時、平家の栄華を極めた平清盛は寵愛した祇王と娘の祇女を人里離れたここ祇王寺に追いやり、絶世の美女とうたわれた仏御前を迎えようとしていました。
世の無常を憂えた仏御前は、やがては自分も祇王と同じ身になると思い、お寺を訪ね、祇王と一緒に暮らす道を選びます。
お寺の方にお聞きした世俗の無常感が、御朱印に描かれた新緑の祇王寺の風景といつの間にか重なっていました。
【 三室戸寺 】 三室戸寺の御朱印をいただいたのは、6月6日。
三室戸寺は源氏物語の後半、宇治10帖(じょう)の舞台となったお寺です。御朱印に描かれたハート型のあじさいは、本当に存在していて、それを探すのが参拝者の楽しみになっています。
☆ 三室戸寺の御朱印。
宇治10帖では、光源氏の子・薫(かおる)と恋のライバル匂宮(におうのみや)、そしてヒロインの大君(おおいぎみ)や浮舟(うきふね)の男女の思いが描かれました。
雨ばかりが降る梅雨の季節、境内に咲く20,000本のあじさいに、さぞ、登場人物も心を和ませたのかと思いきや……。
光源氏の時代、死者に手向ける習慣があったあじさいは、愉しむ花としての役割はなかったようです。
鎌倉に明月院というあじさい寺があるのですが、 ″ 明月院ブルー ″として人気になったあじさいのお話を聞くと、あじさいと人の関わりも、この100年ぐらいで変わって来たようでした。
三室戸寺も、ご住職が時間をかけてあじさいを育て、今ではアナベルやガクアジサイ、スノークイーンやスノーフレークなど、ヨーロッパや北米のあじさいも観られるようになりました。
源氏物語の時代には、もしかしたらこんな感じでは観れなかったあじさいも、御朱印を眺めているとつい物語の世界に入り込んだような、不思議な説得力があります。
P.S.小学生の頃、夏休みの宿題に絵日記を描いた記憶はありますか?
カブトムシを獲ったり、田舎のおじいちゃん、おばあちゃんと会ったり、プールや花火、スイカ割りをしたり………。
大人になると描かなくなった絵日記ですが、旅先の御朱印が、意外にも絵日記代わりになっているような気がしました。