金閣寺の不思議
ⅰ 京都市営バス205系統
京都駅バスターミナル・205系統は、今日も観光客でごった返していました。
その行先は、金閣寺道(きんかくじみち)。
スマホのMAPに、さまざまな国の言葉が飛び交うターミナル。
205系統の終点にある金閣寺は、特に人気のスポットです。
観光ランキングを紹介する外国人に人気のサイト「TripAdvisor(トリップアドバイザー)」に、金閣寺のこんなメッセージが寄せられていました。
https://honichi.com/ranking/touristattraction/kinnkakuji/
This temple will literally take your breath away!
It is so magical and beautiful and you feel such an overwhelming sense of love and peace!
I have never been so moved by a building in all my life but Kinkakuji Temple is an enigma, simply beautiful!
(金閣寺は素晴らしいものでした。神秘的で心が洗われる気持ちになります。
建物にこんな気持ちにさせられるのは生まれて初めてでした。
金閣寺はすごく不思議なものだよ。オーストラリア在住 )
This was our first organised trip on day one in Kyoto .
It was raining , but this did not deter from the beauty of this Temple .
Something that should not be missed on a trip to Kyoto.
(京都で初日に観光した場所でした。
雨が降っていたんだけど金閣寺の美しさ・神々しさを遮るまでにはならなかったね。
京都観光では絶対に外すことができないスポットだよ。ニュージーランド オークランド出身)
そう言えば、鏡湖池(きょうこち)の前で金閣寺をずーっと眺めていた外国人の姿。
今回の『金閣寺の不思議』は海外の皆さんに背中を押され、もう一度、金閣寺を見たいと思ってスタートしました。
ⅱ 金閣寺の生い立ち
日本人なら誰しもが一度は訪れたり写真で見かけたことがある金閣寺。その生い立ちは、こんなところにありました。
正式名称は、鹿苑寺(ろくおんじ)と呼ぶそうです。
かつて ″ 京都五山 ″ と呼ばれた相国寺の塔頭(たっちゅう)寺院の一つらしいのですが……。
ところで、塔頭って? 禅宗のお寺で高僧が亡くなられた後に弟子達によって小庵を営んだことが始まりらしいです。
金閣寺とよく比較される銀閣寺も、相国寺の塔頭寺院になるんですね。
現在の金箔のお寺ができたのは、1399年頃とか。実は金閣寺は始めから金色の建物ではなかったようです。
室町幕府の3代将軍・足利義満が、公卿の西園寺公経(きんつね)から別荘として譲り受け、現在の金色の舎利殿に変わっていったとか。
金閣は木造三階建の楼閣建築で、鏡湖池の畔に南を向いて建っています。
1層は素木仕上げといって金箔を張っていません。
三階建てなのに、1層と2層の間に屋根の出っ張りがないので、二階建ての建物のようにも見えます。
お天気で風がないと、「逆さ金閣」が池に映ってバベルの塔のような幻想的な姿が見られます。
陽が射した金閣のてっぺんには、鳳凰がキラキラと光っていました。
鳳凰というと、あの福沢諭吉の1万円札の裏側、平等院の鳳凰が有名です。
今回の渋沢栄一の新札には鳳凰がデザインされませんでしたが、この鳥は幸せを呼ぶ吉鳥でした。
中国の神話に出てくる伝説の鳥・鳳凰、金閣寺を建てた義満は鳳凰を屋根の上に載せ、我が子・義持に天皇家を継がせたいという野望を持っていたとも言われています。
金箔の舎利殿ばかりに目がいく金閣寺ですが、境内には、義満が植えたと伝えられる陸舟(りくしゅう)の松や茶室・夕佳亭(せっかいてい)も見られます。
京都中が戦火にまみれた応仁の乱の時も、舎利殿はかろうじて焼け残ったのですが……。
ⅲ 金閣寺の悲劇
遠い昔、でもそんなに遠くではないのですが、金閣寺が放火される悲劇に見舞われたことがありました。
1950年(昭和25年)7月2日未明でした。
一人の学生僧の放火によって、金閣寺の象徴、金箔の舎利殿と観音菩薩像など6点が灰と帰してしまったんです。
社会問題となったこの事件は、その後、三島由紀夫の『金閣寺』や水上勉の『五番町夕霧楼』でも紹介されました。
『五番町夕霧楼』では、京都の西陣五番町の遊郭「夕霧楼」で働く夕子と禅寺の小僧となって修行する幼友達・正順、そして夕霧楼の女将や娼婦の心の交流が描かれます。
けっしてあってはいけない出来事ですが、事件の背景にあった戦後の混乱や人間模様と一緒に、その美しさ故の金閣寺の神秘な世界をあらためて感じてしまう作品でした。
ⅳ 編集後記
最後は金閣寺の魅力を4枚のポストカードと一緒にご紹介します。
境内のお土産屋さんでは、一般拝観でなかなかお目にかかれない金閣寺をカードで見ることができます。
これは、夜間にライトアップした金閣寺の様子。
室内も天井から壁まで金箔がほどこされているんですね。
TripAdvisorで紹介されていたのか、カードを買い求める外国人の姿が印象的でした。
本当に神々しい金閣寺です。
学生時代に歴史の教科書の中でマルコ・ポーロの「東方見聞録」のお話を読んだことがあります。
日本は、「黄金で溢れかえって宮殿や民家も黄金でできている、大量の金が産出される国」だとヨーロッパで紹介されました。
金閣寺ができたのは、マルコ・ポーロの「黄金の国ジパング」の後でしたが、本当にそんな夢の国を彷彿させる金箔の御殿です。
そう言えば、黄金のお話は、東北で栄華を誇った藤原氏の中尊寺金色堂や、徳川家康の日光東照宮など……日本の各地に残されています。
古来から金が採れる日本では権力者がその象徴として金を市井の民に誇示してきました。
金閣寺を造った足利義満もそうした意図もあって舎利殿を金で覆ったのかもしれません。
まさか ″ 黄金伝説 ″ を外国の旅行者が信じていることはないと思います。
それでは、鏡湖池でひたすら金閣寺を眺める外国人はどんな思いだったのでしょうか?
最近、日本の建物や風景、生活様式に魅了される外国人が増えていると聞きます。
現在、日本では金箔の98%が金沢で作られているそうです。
職人技でおよそ1万分の1~2mmの薄さまで金箔を延ばし建物に重ねて貼っていきます。
金箔は、今や漆器や陶器だけでなく、食品や化粧品にまで使用されているんですね。
『黄金の国ジパング』は、今はきっと『不思議な国ジパング』。
金閣寺を眺める外国人の笑顔が、そんなことを教えてくれたような気がしました。