梅香る
ⅰ 梅好きと、桜好き
突然ですが、皆さんは、「梅」と「桜」、どちらが好きでしょうか?
香を楽しめる梅の方が好きだと言われる方もいると思いますし、花ぶりが豪華で春には桜が似合っていると思われる方もいると思います。
今回は、梅の名所、「北野天満宮」と「城南宮」の梅散歩をしながらの、そんなお話です。写真のはじめの11枚は北野天満宮、後の11枚が城南宮です。
天神さんの梅が満開になりました
2018年4月にNHKで放送された『京都人の密かな楽しみ Blue修行中「祝う春」』の中で、作庭家 石橋蓮司さんが演じる 美山清兵衛は、こんな言葉を言います。
「京都の人間は本当に梅が好きだ、桜より好きやと言やはる人が多い また格好つけて、と言われるかもしれんけど、ほんまのことやから仕方無い」
美山清兵衛は、知る人ぞ知る梅の第一人者。穏やかに諭したかと思えば、瞬間湯沸かし器のように大爆発します。
燈篭の向こうに、梅の園
庭師見習いの主人公 若林ケント幸太郎(林遣都)も師匠の言葉に神妙な顔つきで頷くのでした。
当時、この番組が放映された梅は、北野天満宮や城南宮だったかと思います。
テレビ画面いっぱいに映し出され梅から、まさにその香りが伝わり、美山清兵衛の言葉に妙に納得してしまうのでした。
見頃になった白梅と紅梅
もしかしたら、桜のシーズンに府外から訪れる観光客の方も気がつかない、梅への思いを京都人は持っているのかもしれません。
そこで、今回は、梅が見頃になった、北野天満宮と城南宮を散策したいと思います。
美山清兵衛が言った「京都の人間は本当に梅が好きだ、桜より好きやと言やはる人が多い………」、あの言葉の真意に、少しでも近づけたらと思います。
久しぶりの青空に、梅が映えます。
ところで、北野天満宮は、地元の人から、「天神さん」、「北野さん」と呼ばれています。
境内2万坪に、およそ50種の梅が1500本植えられているそうです。
その歴史は古く、947年(天歴元年)に創建されました。主祭神は、あの有名な「学問の神様」菅原道真公です。
優れた学者だった道真は、政治家として卓越した手腕を発揮し、右大臣という異例の出世をしました。
朝7時頃の神社は、人影もまばら。
このことを良く思わなかった左大臣藤原時平の策謀によって、道真は901年、太宰権師(だざいのごんのそち)という役職を命じられ、九州に左遷されてしまいます。
そして、903年(延喜3年)2月25日、左遷された大宰府で亡くなりました。
道真の死後、都では落雷など災害が相次ぎ、これを道真の祟りだと、没後20年目に、朝廷は道真の左遷を撤回し官位を復し、正二位を贈りました。
朱色の建物に、梅がひっそりと。
その清らかで誠実な人柄と晩年の不遇が、さまざまな伝説を生んだと言われています。
生前の道真は、梅がとても好きだったそうです。
天神さんには、道真が自分の庭で丹精を込めて育ててきた紅梅を大事に守り受け継いでおられます。
(天満宮 https://kitanotenmangu.or.jp/ )
あの、「飛梅伝説」の紅梅。
道真の祥月命日の2月25日には、梅花祭(ばいかさい)・梅花祭野点大茶湯(ばいかさいのだてだいちゃのゆ)が開催されます。
秀吉公ゆかりの「北野大茶湯」にちなんだ大茶湯には、上七軒の芸舞妓のお手前が見られ、とても華やかな風情だとお聞きしました。
京都にある五花街の中で、天神さんは、上七軒(かみしちけん)と深いつながりがあるんですね。
有名な、三光門。
三光門の梅も満開でした。
「天満宮」と書かれたマリンブルーの表札は、″ 神額 ″と呼ぶそうです。
この色は、清新でみんなから慕われた道真を思い出す色ですね。
白梅が、門を包むように天に伸びていました。
青空に、満開の白梅。
梅は、栽培品種を含めると300種類とも、一説にはもっとあるとも言われています。
でも、色はおよそ紅色と白色に分けられ、配色は単色のものから、芯の部分が淡いピンク色で花びらの周辺だけが濃い紅色など、1つの花の中で色が異なるものまでさまざまあるそうです。
また、1本の木から違う色の花が咲くことも梅の大きな特徴の一つで、紅白の梅の木になることもあるといわれます。
神社には、道真に縁のある牛がいたるところに。
天神さんの境内には、牛の石像がいたるところにありました。白い八重の梅が満開の下に、前掛けをした牛が寝そべっています。
この臥牛には、北野天神縁起絵巻にこんな伝説があるようです。
903年、道真が大宰府でご生涯を終えるおり、「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」との御遺言がありました。
御遺骸を轜車(牛車)で運ぶ途中で車を曳く牛が座り込んで動かなくなった場所、この場所が、安楽寺、後の太宰府天満宮になったと言われています。
道真が自身を埋葬する場所として最後を託した牛を、天神さんでは大切に祀っているんですね。
東風(こち)吹かば………
楼門に、道真が大宰府に左遷されるとき、庭の梅の花に別れを惜しんで詠んだ歌が飾られていました。
「東風(こち)吹かば 匂ひ起こせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな」
春になって、東の風が吹いたならば、その香りを、私のもとまで、送っておくれ、梅の花よ。主人がいないからといって、咲く春を忘れてくれるなよ。………そんな歌だそうです。
低木の白梅に顔を近づけると、ジャスミンのような香りがしました。
(ここから、城南宮です) しだれ梅。桜にはない、鮮やかなピンク色です。
この日、城南宮のしだれ梅は満開でした。
150本のしだれ梅の木から、まるでシャワーのように花が枝垂れていく姿は、まさに豪華絢爛を絵に描いたようです。
咲き始めの梅は、花びらの色も濃く、本当に生き生きとしています。
城南宮とは、平安城の南に鎮まるお宮の意味で794年に平安京が遷都された後、都の安泰と国の守護を願い創建されました。
また平安時代後期、白河上皇や鳥羽上皇によって、城南宮を取り囲むように城南離宮が造営され、院政の拠点とされた時期もあったそうです。
2k㎡にも及ぶ離宮は政治・文化の中心となり、歌会や雅やかな宴や船遊びも行われ、王朝文化が花開いたと言われています。
真っ白なしだれ梅のシャワー。
また京都御所の裏鬼門を守る方除(ほうよけ)の神様として信仰されています。
花の宮としてとても有名です。
『谷崎潤一郎新釈 源氏物語』(中央公論社)に掲載される114品種のうち、城南宮の神苑に、一年を通して育つ81品種がホームページに紹介されています。(城南宮 https://www.jonangu.com/)
しだれ梅が咲く頃、苑内は椿も綺麗です。
しだれ梅が綺麗な2月中旬から3月上旬には椿が見頃で、この日もいろいろな椿がみられました。
秋の女郎花
昨年の秋に、七草探しで出かけたおり、写真の女郎花(おみなえし)の黄色が印象的でした。
ピーンとしなったしだれ梅と女性
ピンク色の振袖を着た女性が、白のしだれ梅をバックに写真撮影をしていました。
平安時代の後期(1086年)に作られた『後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう)』にこんな句が詠まれていたそうです。
「梅香を さくらの花に 匂はせて 柳の枝に さかせてしがな」
これは、中原致時(むねとき)という貴族が、香りの芳しい梅、花の色の美しい桜、そして柳のようなたおやかな枝、それぞれの良さが一体となった理想の花を思い浮かべて詠んだ歌とされています。
真っ白しだれ梅は今が満開
江戸時代になり、園芸ブームが到来し、花を観賞するための花梅の品種改良がさかんに行われるようになりました。
当時の文献に“しだれ梅”の記述が見られ、宝永7年(1710)の文献『増補地錦抄』には、「白八重ひとへ有 木はよくしだれて柳のごとし」とあります。
平安時代に中原致時が思い描いた三拍子揃った理想の花、“しだれ梅”は、江戸時代の中期にようやく実現したんですね。
夕暮れ前の木陰から
緑鮮やかな苔が、木の根肌を出した緩やかな土手を覆っています。
散り始めたばかりの椿が、何輪か苔の上にのっています。
その向こうの燈篭としだれ梅に陽が射し、とても幻想的な光景です。
ここは、さきほどまでのしだれ梅が豪華に咲き乱れる苑内とは少し違う空間でした。
しだれ梅も、少し散り始めました。
この光景は、「京都人の密かな楽しみ」の庭師美山清兵衛が主人公 林遣都君に語るシーンにあったような気がします。
「桜切るバカ、梅切らぬバカ」と言われるように、梅の手入れをする職人さんは、毎年、苔の絨毯に落ちた椿の花を見ながらお仕事をしているんですね。
そう言えば、この庭を見ている時の石橋蓮司さん(美山清兵衛)は、優しい顔をしていました。笑
ⅱ 編集後記
重留妙子先生が、「万葉集における梅の歌考」(熊本女子大学国文談話会、1980/10/13)の中で、こんな紹介をされています。
「万葉集には多くの植物が素材として用いられているが、中で梅は集中に120首詠歌がみられ、これは萩の141首に次ぐ数となっている。一方、桜の詠歌は42首で梅の約三分の一にしか満たない。」
平安・中世の時代にも、花と言えば、そのまま桜を指すほど、桜は百花の中で最も人々に愛好されていたそうです。それでは、どうして万葉集の梅と桜の詠歌の数は、121:42で梅の方が多いのでしょうか。先生は、こう書かれていました。
万葉集の中で、梅が桜よりも多く詠まれている理由は、➀梅が庭園に植えられ、山野に自生する桜よりも、貴族階級・知識階級の人々に親しみやすかったこと、②梅は中国渡来の植物で当時の日本があらゆる面で模範としていた中国の人々にも愛好され、日本の貴族たちにもそうした影響があったこと、③律令国家の繁栄で、風雅な生活を求めて社交遊宴の機会を多く持つようになった貴族たちが、梅の花に託して風流な気分を歌に詠んだこと などをあげられていました。
そして、その梅との読み合わせが多いのは、「雪」31、「鶯」13、「柳」12の順番だということでした。梅の季節感と、例えば、雪の降る季節感が、ちょうど重なっていたのでしょうか。こんな歌が紹介されています。
「わが園に梅の花散るひさかたの 天より雪の流れくるかも」
「わが屋前の冬木の上に降る雪を 梅の花かとうち見つるかも」
ところで、作庭家 美山清兵衛が言ったあの言葉‼
「京都の人間は本当に梅が好きだ、桜より好きやと言やはる人が多い また格好つけて、と言われるかもしれんけど、ほんまのことやから仕方無い」
(こんな風に、考えてみました。)
平安京が794年につくられて京都に都が移されてから、1868年に天皇が東京に移るまでの1074年間、京都には都の文化がありました。そして、天皇が東京に去った後も、京都人は伝統と習慣を大切にする時間を過ごしてきました。
京都人になった日常を想像してみました。12月、南座のまねき看板を見上げ師走が来たことを感じる、大晦日に除夜の鐘の音が聞こえる、おおぜいの参拝客の中で初詣に願い事を祈る、七草粥を食べる、街のウインドーに桃の節句のひな人形が映る、七五三の千歳飴を持った女の子とすれ違う……………数えきれないほどの伝統や習慣が日常生活に溶け込んでいます。
梅が咲く季節、それは、桜が咲く季節まではひと月ほどあります。桜が咲く季節には、本当に全国、世界中から観光客が集まってきます。京都の人は、桜を愛でながらも、おもてなしもしなければいけません。そこから逆算すると(笑)、京都人の ″気持ち″ のバロメータは、梅が咲く今、誰にも邪魔をされずに、自分だけの春を楽しみたい、そんな風に数値は反応していた………と、分析しました。(笑)
それから、梅の香りを嗅ぐと、寒い冬が終わりを告げ、暖かい春になる。そのワクワク感が、「桜より梅が好き」な京都人を増やしているのかもしれません。
天神さんの境内に、ほんのりとジャスミンの香りがしました。梅の香りを、イランイランやクチナシに例える方もいます。アロマオイルとしても人気のイランイランは、フィリピンの言葉で「 alang-ilang 」から由来し、「花の中の花」という意味があるそうです。
美山清兵衛の″ あの言葉 ″には、もしかしたら、京都人の、そんな思いがあったのでしょうか。
☆ 京都新聞さんから、「桜の開花情報2023」がアップされました。 https://www.kyoto-np.co.jp/feature/season/sakura