七福神めぐり -大黒天・福禄寿・寿老神・ゑびす -
京都のお正月の風物詩 七福神めぐり に出かけました。
ⅰ七福神のこと、あれこれ。
お正月に、七福神の乗った宝船の絵を枕の下に置いて寝ると、良い初夢が見られる、今年は幸運に恵まれる………そんなお話を子供の頃に聞いたことがあります。
そう言えば、七福神の中には、ゑびす様や大黒天、毘沙門天…よく聞く神様もあるのですが、福禄寿や寿老神の神様の名前はあまり聞いたことがありません。
七福神は、いったいどんな神様なのでしょうか。そして、どこからやってきたのでしょうか。
今回は、京都に幾つかある七福神めぐりの中から、都七福神を訪ねました。
Part1では、大黒天、福禄寿(ふくろくじゅ)、寿老神(じゅろうしん)、ゑびすを、Part2では、弁財天、毘沙門天(びしゃもんてん)、布袋(ほてい)を巡ります。
ⅱ 大黒天
七福神のお寺は、それぞれが離れているため、どんな順番で回るか、スタートの時に作戦を立てないといけません。
一番北にある左京区修学院の赤山禅院から、南の宇治市五ケ庄 萬福寺まで、健脚の方でも一日では難しいですね。 (都七福神めぐりには、一日コースのバスツアーも好評のようです。)
はじめに妙円寺からスタートして、赤山禅院を巡ったら、南へ下ルコースで行けるところまで………そんな作戦を立てました。
都七福神の7人の神様は、こんなお寺と神社に祀られています。
妙円寺(大黒天)、福禄寿(赤山禅院)、行願寺(寿老神)、京都ゑびす神社(ゑびす)、六波羅蜜寺(弁財天)、東寺(毘沙門天)、萬福寺(布袋)
【さあ、スタートです!】 最初の七福神 大黒天のある妙円寺は、大黒様のゆかりから、松ヶ崎大黒天とも言われています。真っ白な本堂幕に描かれた小づちと大黒様が出迎えてくれました。右手に小づち、左手に大きな袋を抱えています。
大黒天は、インドのヒンドゥー教マハーカーラと呼ばれる神様で、マハ―は大(偉大な)という意味、カーラは黒(暗黒)を意味するそうです。
柔和な大国天の表情から、その昔、恐ろしい暗黒の神様だったことは想像できません。でも、黒光りした石像はその面影を今に伝えているのかな……。
大黒天は、五穀豊穣、財福、飲食の神様です。その昔、比叡山延暦寺の開祖、最澄によって、お寺の厨房の神様とされ、庶民の家庭の台所にも祀られていったそうです。
ゑびすと並んで庶民に馴染みのある大黒天は、出世や縁組、治安の神さまとしても人気があったようです。
お祭りや行事には、ゑびすと大黒天がセットで登場していたり、狂言や草子の題材にもなっています。
少し余談になりますが、八坂さんの愛称で親しまれている八坂神社の大国主社の主祭神は、大国さん(オオクニヌシノカミ)です。
一日も早くマスクを外して、たくさんの人の縁を聞いてくれるといいですね。
【アクセス】松ヶ崎大黒天(妙円寺) 左京区松ヶ崎東町 地下鉄烏丸線 松ヶ崎駅下車 徒歩5分
ⅲ 福禄寿
福禄寿が祀られている赤山禅院は、延暦寺の別院として、888年に創建されました。
ちょうど、この場所が京都御所から見て表鬼門(北東)にあたるため、方除けの神として信仰され、また比叡山延暦寺の千日回峰行の中で、100日間、比叡山から雲母坂を登降する「赤山苦行」としても有名です。
以前、NHKで千日回峰行の様子を拝見しましたが、お坊さんが生死のぎりぎりのところで修行されるご様子に、息をつめ画面にくぎ付けになった記憶があります。
福禄寿は、幸福・封禄・長寿という三つの願いを具現化した神様です。
長い頭に長い白髭を生やして、左手には杖を持ち、右手には巻物を携えていました。ふくよかなその表情を拝見すると、自然に手を合わせてしまいます。
福禄寿は、中国の道教から導かれた神様だと言われています。平安京が造られた頃の資料を読むと、桓武天皇は、この京都に都を置くために、秦氏という渡来人が所有していた広大な土地を利用されました。七福神の中には、大きな財力をもった秦氏の影響で中国から伝えられた神様もいるんですね。
それから、福禄寿が左手に持っている杖は、一説に僧侶が各地を行脚するときに、仏の教えを伝えるだけでなく、各地の鉱脈を探すためのものだったと言われています。
中国では、福禄寿は南極老人星の化身だとされています。中国には、春節の時期に星空に一段と輝くオリオン座の三ッ星に願いを込めて、「福禄寿三星」と呼ぶ習慣もあるとか。
平安時代に貴族が大きな関心を持っていた陰陽道も、そうした中国の道教や占星術の影響が大きかったのでしょうか。
【アクセス】赤山禅院 左京区修学院赤山町 市バス5「修学院離宮道」下車 徒歩15分
ⅳ 寿老神
寿老神が祀られている行願寺は、1004年に行円によって創建されました。地図で行願寺の名前を探すと、そこには革堂と書かれています。
面白い名前だな?と思って、お寺の解説を読むと、こんな伝説が残っていました。
お寺を開いた行円は、仏門に入る前は狩猟を生業としていた。ある時、山で身ごもった雌鹿を射たところ、亡くなった雌鹿のお腹から子鹿が誕生したのを見て、殺生の非を悟り仏門に入った。行円は、その後、雌鹿の革を身に着けていたことから、皮聖人とも呼ばれた。
行願寺のことを、革堂(こうどう)と呼ぶのはそのためでした。
寿老神は、長寿と健康、開運と厄除けの神様とされています。寿老神もまた、南極星、南極老人星の化身で福禄寿と同一の神様です。どこか福禄寿と似ている表情は、そんなところにあるのかもしれません。
革堂の境内には、七福神の神様がピンクや朱色の帽子とマフラーをしていました。ベレー帽の帽を被った大黒天、スキー帽をすっぽりと被った弁財天。
透きとおる冬の青空。でも七福神の神様は温かそうで、可愛らしい表情をしています。
寒い境内に、ここだけ参拝者の数は増えるばかり。 (アイキャッチ画像に載せましたので、ぜひご覧になられて下さい。)
個人的な見解ですが、帽子とマフラーが一番似合っているのは、写真の寿老神の神様かと………。(笑)
そう言えば、こんな上品なお年寄り、さっき立ち寄った寺町京極商店街にいたような………。ほっこりする、三番目の七福神めぐりでした。
【アクセス】革堂(行願寺) 中京区寺町通竹屋町上ル 市バス205「河原町丸太町」下車徒歩3分
ⅴ 京都ゑびす神社
京都ゑびす神社は、1202年、臨済宗の祖 栄西によって創建されました。
栄西は南宋から帰国する時に暴風雨から船を守ってくれたゑびす神に感謝し、建仁寺を建立するおり、この神社を鎮守社として勧請したそうです。
ゑびす様の誕生日、1月10日の「十日ゑびす」には、「商売繁盛、ササもってこい」の掛け声で、笹に小判や俵をつけた縁起物が飛ぶように売れる光景は街の風物になっています。
七福神の神様の中で、ゑびすは唯一日本国産の神です。
ゑびすは、イザナギ、イザナミの間に生まれたヒルコであるという説や、出雲のオオクニヌシの子供コトシロヌシだとする説もあります。
風折烏帽子(かさおりえぼうし)を被って左脇に鯛を抱え、右手に釣り竿を持った姿は、とても気さくな近所のおじちゃんのようですね。庶民的なゑびすは、「えべっさん」とか、「建仁寺のゑびすさん」と呼ばれていると、参拝の方が教えてくれました。
ゑびすは、漁業や農業、商業や交易、交通、医業の神様です。京都ゑびす神社は、大阪の今宮戎神社、兵庫の西宮神社と並んで、三大ゑびすと言われています。
ゑびす人気に比例して、全国には「えびす」と発音する地名や名前が多いそうです。えびす、恵美須、恵美須、恵美酒、夷、蛭子、戎、胡、戎子、蛯子………など。
日本人に親しみのある「えびす」の名前を持たれた方、ちょっと、うらやましいですね。
【アクセス】 京都ゑびす神社 東山区大和大路通四条下ル 京阪線 四条駅 徒歩7分
【 編集後記 】
七福神を祀るお寺や神社を訪れると、七福神の神様の他にも、いろいろな神様がそこにいらっしゃる事に気がつきます。いろいろな神様と一緒に、七福神も、中国やインドから帰られたお坊さんが広められた歴史があるんですね。
不思議に感じたのは、中国やインドで生まれ日本に来た神様も、日本の風習や文化の中で、恐ろしい神様から、田舎の優しいおじいちゃん に変わっていったことです。
次回、弁財天や毘沙門天、布袋様を訪ねたら、また新しい発見があるといいなって思いました。(つづく)
☆ どちらの神様が、一番おしゃれでしょうか?