七福神めぐり- 弁財天・毘沙門天・布袋 -
都七福神めぐりも、「後半戦」‼ 弁財天、毘沙門天、布袋を残すだけとなりました。
ⅰ 弁財天
六波羅蜜寺は、東山区轆轤町(ろくろちょう)にある真言宗のお寺です。「ろくろ」という地名は、陶芸のろくろ引き職人が多く住んでいたことに由来するそうです。(江戸の寛永年間までは、髑髏(どくろ)町と呼ばれていました。)
お寺の創建ははっきりしていませんが、踊念仏で知られる空也上人が平安時代中期の951年に造立した十一面観音を本尊とする道場に由来しています。
お寺の御朱印(写真)には、空也上人がわずかに開いた口から「南無阿弥陀仏」を唱えた、あの有名な6体の仏像が見られます。
弁財天堂に祀られる像高30cmほどの六波羅弁財天像は、平安時代の後期、崇徳天皇の夢告により禅海上人によって造立されました。
六波羅弁財天は、インドのヒンドゥー教の女神サラスヴァティー神で、音楽・芸能・弁才・財福・知恵・豊穣・子宝の徳がある天女の姿をしています。
羽衣を羽織り、琵琶を奏で、右手には豊穣の稲穂を持っています。七福神の中で紅一点の弁財天には、天女らしい、いろいろな言い伝えが残っています。
神奈川県江の島に残る弁財天には、こんな伝説がありました。
昔、江の島という島がなく、大きな湖がありました。そこには、五頭竜という悪竜が住んでいて、土地の人を苦しめていました。ある時、湖が隆起し島になります。そして、そこに天女の使い、弁財天が住むことになったのです。弁財天は、五頭竜の殺生を止めさせるために、五頭竜の妻になります。弁財天のおかげで殺生をやめた五頭竜は、やがて土地の守護神として崇められ、島の人たちから慕われる存在になったそうな………😊
七福神の中で、紅一点の弁財天には、いろいろな「羽衣伝説」が残されているんですね。
たくさんお願い事ができる弁財天には、どんなお願いをしたらいいのか、迷ってしまいます。
そんな時は、写真の「一願石」の前に立って、ぐるぐる3回まわし、一つだけ願い事を神様にお伝えしたら……(一発必中の精神で。百発百中はないと肝に銘じて。笑)
【アクセス】六波羅蜜寺 東山区大和大路五条上ル 市バス206「清水道」下車徒歩5分
ⅱ 毘沙門天
東寺の正式名称は、教王護国寺といいます。桓武天皇が平安京造営のおり、藤原伊勢人に命じて造らせました。
有名な五重塔の他にも、廬舎那仏(るしゃなぶつ)、千手観音、薬師如来、梵天、帝釈天、四天王など国宝とされる仏像が多いお寺です。
東寺の兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)は、金鎖甲(きんさこう)という鎖を編んで作った兜をして腕には海老籠手(えびごて)と呼ぶ防具を着け宝冠を被った異国風の像です。
これは、毘沙門天のルーツがインドのヒンドゥー教の軍神グーベラだったことや、中央アジアを経て中国に伝わる過程で武神・守護神とされたからだと言われています。
平安時代のはじめ、朱雀大路の入り口に羅城門と二つのお寺(東寺、西寺)を建立したおり、兜跋毘沙門天は仏法守護、北方守護に大きな役割を果たしたんですね。
当時の毘沙門天は、庶民がお願いをする神様ではなかったのかもしれません。
その後、鞍馬寺で、庶民の毘沙門天信仰は広まっていきます。
おかげで、毘沙門天は、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、長命長寿、立身出世の神様にもなりました。庶民の中では、毘沙門天は、ゑびすや大黒天と並らぶ人気を誇っていたとのことです。
七福神めぐりの日、東寺の広いお堂には、一般の参拝者の他に、このお寺の檀家の方たちが、お正月のお勤めのために来られていました。
こんな大きなお寺にも、商売繁盛や家内安全を願う街の人の息遣いが聞こえる……ガイドブックには載っていない、ほっこりする、参拝でした。
【アクセス】東寺 南区九条通大宮西入ル 近鉄京都線 東寺駅下車
ⅲ 布袋
布袋尊(ほていそん)が祀られる萬福寺は、京都府宇治市にある黄檗宗(おうばくしゅう)のお寺です。
七福神めぐりの7番目に、ようやくたどり着きました。境内に入ると、今までのお寺とは全く様相が違います。
どうやら、ランタンフェスティバルが開催されているようです。夜はたくさんのモニュメントに灯りが燈され、エキゾチックな雰囲気になるみたいですね。
お堂には、胸と腹をはだけて太鼓腹をした布袋様が鎮座しています。七福神の中で唯一実在した契此(かいし)という中国の禅僧でした。
生まれは、唐代末の明州(浙江省寧波市)。右手に団扇をもち、大きな布袋をかたわらに置いて、物乞いをし食べ物などを手に入れていたそうです。
子供を引き連れ、巷を放浪し、吉凶や天気を予想したりもしていました。広い度量や円満な人柄が、弥勒菩薩の生まれ変わりだとも言われていたそうです。
そうしたところから、布袋様は、財宝と家運、平和と安寧、不老と長寿、安産と子育ての神様とされています。
ところで、祇園祭の山鉾に、かつては布袋山という山がありました。江戸時代に火事で焼失したため、今は休み山で、布袋と二童子が宵山(よいやま)に飾られます。
いつかは、山鉾巡行に参加してくれると思います。その時、あの四条通を布袋さまは、やっぱり太鼓腹で豪快な笑いを見せてくれるのでしょうか。
【アクセス】 宇治市五ケ庄三番割 JR奈良線 黄檗駅下車 徒歩
ⅳ 編集後記
室町時代にはじまった七福神めぐりは、500年以上にわたって、私たち日本人に受け継がれてきました。
世の中に穏やかではない出来事が起こるたびに、いろいろな不安が心に浮かんできます。そんな時、先人が作ってくれた七福神めぐりを思い出し、福徳をお願いする、この風習をこれからも守っていたけたらと思います。
光徳寺の渡邊俊明住職が『足るを知る― 七福神の思い ― 』という法話(2019/11/1)の中で、述べられていた言葉をご紹介します。(https://www.myoshinji.or.jp/houwa/thismonths_houwa/1065)
【…………さて、あなたは七福神にどんな願いをされるでしょうか? 私たちには様々な欲望があり、きりがありません。願いは人それぞれでしょうが、幸せを求める心の表われでもありましょう。物や心の満足を求めて――。
しかし、神様には表と裏が一体であると聞きました。即ち、幸せ神には反幸せ神がくっついているとか・・・。 それは、私たちが自分の欲望に凝り固まったものを戒める教えと思います。他の人への思いやり、他の人の幸せを思える心を養うために……。
知足(足るを知る)という教えがあります。七福神は宝船に乗っていらっしゃいます。建立した石彫り像☆には“宝”字の所に、“※吾唯知足(われただたるをしる)”を絵文字風にしたものをはめこみました。
あまり欲張るなよ、足りてあることを知りましょう。有形無形に恵まれている事に気付かせてもらえたら――。
「笑う門には福来たる」「三門くぐれば七福ほほ笑む」。……………】(原文のまま)
☆ 岐阜県美濃加茂市下米田町にある光徳寺に、2019年、七福神の石彫り像が建立されたそうです。
そう言えば、七人の神様にいろいろなことをお願いして………どこの神様にどんなお願いをしたのか、ちょっぴり、忘れてしまいました。 (m´・ω・`)m ゴメンナサイ
「笑う門には福来たる」 ……いつも笑いが絶えないところには、自然と幸福がやって来るんですね……………ご住職の言葉を胸に、2023も良い年でありますように!
☆寒空に、萬福寺さんのホットコーヒー、体にジーンときました。