紅葉 -その2-
紅葉散策 ~ 南禅寺・哲学の道・安楽寺・法然院・銀閣寺・真如堂 ~
初紅葉に訪れた11月15日から十日ほどした11月24日、まだ青もみじが残っていた東山界隈もずいぶん紅葉してきました。
ⅰ 南禅寺
1291年に無関普門(むかんしんもん)さんというお坊さんがはじめての住職として招かれた後、このお寺は室町時代の京都五山、鎌倉五山の別格(格上)として臨済宗南禅寺派の大本山となり今日に至っています。
境内に入ると、真っ先に目に飛び込んでくるのが、大きな三門です。両手で抱え込むことができないほど太い柱。建立された時には飴色に輝いていたのでしょうか、漆は剥げしわの刻まれた木肌が剥き出しになっています。
「絶景(ぜっけい)かな 絶景(ぜっけい)かな……」 あの大泥棒、石川五右衛門が夕暮れ時に満開の桜を眺めたのがこの三門の回廊でした。
三門をくぐると法堂や方丈のモミジはオレンジ色に紅葉していました。
広い境内は団体のバス客やタクシーから降り立つ観光客をどんどん吸い込んでいきます。
禅宗のお寺らしい丁寧に手入れをされたモミジは、それぞれあらかじめ役割が決まっていたかのように整然と境内に配置されている感じでした。
境内を奥へと少し歩くと、南禅寺水路閣があります。
(水路閣のことは、第3回投稿(10月27日)で水路閣の歴史として掲載させて頂きました。)
久しぶりに再会した水路閣は夏に訪れた時には青もみじの中に埋もれるように立っていたのですが、すっかり紅葉したモミジは水路閣の赤茶けたレンガ色と不思議な一体感を醸し出していました。
テレビドラマの撮影ですっかり有名な水路閣の前には、今日もたくさんの観光客が記念写真を撮っています。
☆スポット 永観堂
永観堂の紅葉はこの東山界隈では一番人気のあるスポットです。古くから「秋はもみじの永観堂」と言われるのもうなづけるほど、この日も総門をくぐる人の流れが途絶えることはありませんでした。
総門のモミジは青もみじから黄色やオレンジ色、そして朱色や真っ赤に変化していました。
この日は御影堂や釈迦堂まで見ることはできませんでしたが、錦雲橋のある放生池の紅葉はもう一度見たいなと思っています。(夏に豪雨の中で雨宿りした「和みの道」の青もみじもどんな風に紅葉したかな?)
※写真は、夏の青もみじ(和みの道)です
ⅱ 哲学の道
「哲学の道」という言葉の響きはどこかエキゾチックな感じがします。
明治の頃、文人が多く住むようになったこの場所は、その後、京都大学の哲学者西田幾太郎先生が思案を巡らしながら散策され「哲学の小径」と呼ばれ、1972年に今の「哲学の道」になったそうです。
ドイツのハイデルベルグにも「哲学者の道」と呼ばれた道があり哲学者や詩人、大学教授や学生が散策し瞑想や思索に耽ったと言われています。
ドイツの「哲学者の道」と京都の「哲学の道」。そんな名前の道が京都にあることはとても誇らしいですね。
少し脱線してしまいましたが、桜が満開の頃、この哲学の道を歩くと桜見客がいっぱいでとてもゆっくりと思索をするどころではありません。
でも秋の哲学の道は春とは少し違います。
京都の街が本格的な紅葉シーズンに突入する少し前、10月から11月初旬にソメイヨシノやヤマザクラの葉が紅葉します。
この時期は散策する人も疎らでひっそりとした散歩道を歩けたらいいなと思います。もしかしたら、いいアイデアが浮かんでくるかもしれません。
桜の紅葉が終わった11月24日、哲学の道はいっそう静寂に包まれていました。
石畳を覆う落葉した桜の上を歩くと、サクサクと鳴って心地よい気分になります。
モミジを探すのが少し難しい哲学の道ですが、鹿ケ谷の山側に所々、紅葉しているモミジを見つけることができました。
ⅲ 安楽寺
安楽寺は銀閣寺へとつながる哲学の道の途中、鹿ケ谷の方に少し入ったところにひっそりと立っています。
その歴史は古く、あの「鹿ケ谷の陰謀」から20年数年後の鎌倉時代に、法然の弟子の住蓮と安楽は、一匹の白い鹿が山中から現れそして消えたお告げによって、鹿ケ谷草庵を結んだのが始まりだと言われています。
1207年、住蓮と安楽は後鳥羽上皇の女官であった松虫と鈴虫を出家させたとして処刑されます。
その後、荒廃した草庵を流刑地から戻った法然が弟子の住蓮と安楽の菩提を弔うために再建したそうです。
安楽寺さんの御朱印帳はその松虫姫、鈴虫姫をイメージして鶴田一郎さんが描かれたものです。
山門にあがる階段のモミジが藁葺屋根を覆い隠していました。
チンチロチンチロリン、リーンリンと鳴く松虫や鈴虫の声を聞くことはできませんでしたが、古刹の静寂な空気が秋の深まりを予感させてくれました。
ⅳ 法然院
11月中旬に法然院さんを訪れた時にはモミジはまだ紅葉していませんでした。
11月24日、法然院さんはようやく紅葉の時を迎えていました。オレンジ色と黄色に紅葉したモミジと藁葺屋根の鮮やかな緑色の苔のコントラストが印象的です。
万葉集などで歌われた紅葉が赤色よりも黄色の「黄葉」だったのは、法然院さんの山門にかかるこのモミジのことだったのかなと思ってしまいます。
外国からの観光の方を少しずつ見かけるようになり、ここ法然院さんにも、10人ぐらいのアメリカ人が山門のモミジを撮っていました。
日本人よりも表情が豊かで、皆さん、ニコニコしてモミジを見入っています。
素敵な写真をアメリカに持って帰って欲しいなと思いました。
法然院さんの秋はみんながほっこりする秋ですね。
ⅴ 銀閣寺
ユネスコの世界遺産に登録されている銀閣寺は、金閣寺、飛雲閣(西本願寺境内)とあわせて京の三閣と呼ばれているそうです。
金閣寺の舎利殿には金箔が貼られていますが、銀閣には銀箔は貼られていません。
これにはいろいろな説があるらしく、➀ 建築様式が似ている金閣寺と対比されて呼ばれるようになった説、②壁が黒漆塗りであり、光が当たると銀色に見えるからという説、③当時の財政が厳しく、銀箔が貼れなかった説 など様々です。
室町時代、応仁の乱によって京都の街は焦土と化しました。長い暗黒の時代、御所の貴族だけでなく庶民も辛い時間を過ごしました。
1490年の銀閣寺の創建は、京都にまた穏やかな暮らしが戻ってきた時代の風だったのかもしれません。
モミジの隙間から顔を覗かせる火灯窓。この形は昔も今も見る人の心を和ませてくれる、妙に合点してしまいました。
ⅵ 真如堂
左京区浄土寺真如町という地名に建つ真如堂は正式名を真正極楽寺といいます。創建は古く984年。比叡山延暦寺の僧であった戒算によるとされています。
普段は静かなこのお寺は紅葉のシーズンになるとツアー客が多く訪れるスポットになります。広い境内のいたるところにモミジが紅葉している様はそのスケールで他を圧倒しています。
背の高い木々が多く、昼間でも境内の石畳に陽がそれほど射しません。
古色蒼然とした建物と真っ赤や黄色に紅葉したモミジのコントラストに思わず立ち止まってしまいます。
庭園の苔むした緑の絨毯に落葉したモミジが綺麗に映っていました。
赤色ばかりでなく、黄色やピンク色に紅葉して散ったものもあります。
真如堂を訪れたのは、11月24日の朝10時頃でしたが、人影まばらな時間の境内を散策するにはグットタイミングでした。
ⅶ 紅葉散策 後記
今回の紅葉散策は、東山三十六峰のほんの一部でした。古刹や山道の紅葉は本当に表情豊かでそこでしか見られない風景でした。
拾遺和歌集にこんな歌があります。
「小倉山 峯(みね)の紅葉葉(もみじば)こころあらば 今ひとたびの みゆき待たなむ」
小倉山の峰の紅葉よ、もしおまえに心があるなら どうか、少し、次の行幸(みゆき)まで散らずに待っていて欲しい
作者は藤原忠平という方です。宇多天皇のお供で大堰川に出かけたおり、天皇があまりにも美しい小倉山の紅葉を息子の醍醐天皇に見せてあげたいと言われました。
忠平はその天皇の言葉を受けてこの歌を詠んだそうです。
はたして忠平が願ったように、醍醐天皇は小倉山の紅葉を見ることができたのでしょうか?