山鉾巡行が帰ってきた!
(『 山鉾巡行が帰ってきた! 』は、『 愉しむ! 祇園祭 』に続いて、令和5年7月17日に行われる前祭・山鉾巡行の十四番から二十三番の写真を掲載しています。)
☆『愉しむ! 祇園祭』では、一番から十三番まで、いろいろな山や鉾が登場しました。これから登場する山鉾にも、目を引く細工や不思議なタペストリーが幾つも見られます。
ⅰ「ちまき」のお話
祇園祭と言うと、「ちまき」。
でも、ちまきと言っても、端午の節句のように食べられるお餅ではありません。
【十四番】「保昌山(ほうしょうやま)」 ☆平安時代の武将「平井保昌」が御所の紅梅をこっそり手折っている様子。
ちまきは、疫病除けや火災除けのお守りとして、宵山にそれぞれの山鉾の会所で販売されます。
お気に入りのちまきを買ったら、自宅の玄関などに飾って一年のお守りとします。
写真のように、山鉾ごとに、ちまきのイメージも違うんですね。
左から順番に 月鉾、菊水鉾、 函谷鉾(かんこほこ)、綾傘鉾(あやかさほこ)のちまきです。願い事も、ちまきによって違うようです。
写真だとよく見えないと思いますが、山鉾の名前と一緒に、「蘇民将来子孫也(そみんしょうらいしそんなり)」と書かれたものがあります。
この言葉には、こんな意味があるそうです。
ある日、八坂神社の主祭神「牛頭天王(ごずてんのう)」は旅人に身をやつして「蘇民将来」という男の家に宿を求めました。
【十五番】「綾傘鉾(あやかさほこ)」 ☆「鉾」の先頭には、6人の稚児が狩衣装で巡行し舞を見せてくれます。
蘇民は貧乏でしたが、旅人を厚くもてなします。
牛頭天王 (=旅人)は蘇民の心遣いに感謝し、蘇民の家族が末代まで健康でいられるようにと、目印の芽(ち)の輪を腰につけておくようにと伝え去っていきました。
【十六番】「太子山(たいしやま)」 ☆白装束は聖徳太子。太子山の真木のスギは、聖徳太子がお堂を建てることを思い立った六角堂頂法寺に由来しています。金地孔雀唐草図のインド刺繍が鮮やかです。
茅(ち)は、あの「茅の輪くぐり」の「茅」で、イネ科の植物。
この「茅」を束ねて巻いたものが「茅巻(ちまき)」と呼ばれ、その後、祇園祭の「ちまき(粽)」へと変化していったそうです。
「ちまき」を玄関先に飾った家族は、みんな「蘇民将来子孫也」だから、一年を健康に過ごすことができるんですね。
ⅱ 「山鉾巡行」の役割分担
【十七番】「月鉾(つきほこ)」 ☆「いざなぎのみこと」が生まれ変わった「月読尊(つくよみのみこと)」。「月」にちなんだ装飾が多い。インド・トルコ絨毯が綺麗です。
巡行する山鉾には、昔から、ちゃんとした役割分担がありました。
綱を引っ張り、鉾や曳山を曳く「曳き方(ひきかた)」。
大きな「鉾」だと、40人から50人ぐらいの曳き方がいます。
「エンヤラヤー」、「ヨイヨイヨイトセ ヨイトセー」と声をかける「音頭方」。
「エンヤラヤー」は山鉾が動き出す時、「ヨイヨイヨイトセ ヨイトセー」は辻回しの時です。
写真の「月鉾」は、屋根まで8m、鉾頭まで25mぐらいある大きな鉾です。たくさんの「曳き方」や、「音頭方」の声が聞こえてきました。
【十八番】「伯牙山(はくがやま)」 ☆琴の名手「伯牙」が友人の死を嘆き、琴の弦を切って二度と引くことがなかった話に由来しています。
「囃子方(はやしかた)」は、鉾や曳山の上で祇園囃子を演奏します。
宵山の晩にも、囃子方の演奏を聴くことができます。
「コンチキチン コンコンチキチン コンチキチン…………」町内に、その音色が聞こえてくると、いよいよ巡行の日も近いんですね。
【十九番】「蟷螂山(とうろうやま)」 ☆屋根に乗った「大かまきり」は、ダイナミックに動きます。中国の梁の時代の「蟷螂の斧」のお話と南北朝に足利氏と戦って亡くなった公家のお話がテーマになっています。
「車方(くるまかた)」は、車輪の調整役で、指揮役の「サエトリ」が「オサエ」という長い棒や笛、掛け声で他の車方に進行方向の微調整を指示します。
「カブラ」と呼ばれる棒を車輪に嚙ませて進行方向を調整したり、辻回しの時には車輪に青竹を使って横滑りを促したり、巡行には欠かせない役割が車方です。
【二十番】「占出山(うらでやま)」 ☆神功皇后が、肥前松浦の玉島川でアユを釣り、戦勝を占った逸話に由来しています。皇后の右手には釣り竿、見えませんが左手にはアユを持っています。
高い鉾の屋根の上に、白のハッピをまとってゆったりと座っているように見えるのが「屋根方(やねかた)」です。
一番眺めの良いところで羨ましいなあーと思いますが、屋根方は熟練の大工さんが担い、鉾の屋根の先や真木などが、信号機や電線に衝突しないか、いつも監視しています。
大工の棟梁は徒歩で路上から監視し、「屋根方」に指示をし、「車方」にも大声で伝えます。
それでも電線との衝突が不可避と判断すると、足で電線を蹴ったり、刺股で押して衝突を防ぐ、まさに身の軽い大工さんならではの役割です。
【二十一番】「放下鉾(ほうかほこ)」 ☆俗世間を捨てて技芸鍛錬をする僧のことを「放下僧」と呼びます。「音頭方」の法被が、花文様のインド・ペルシャ絨毯に綺麗に映っています。「放下鉾」は「くじ取らず」の21番と決まっています。
写真の「放下鉾」には、動く稚児人形が見えます。ここでは、「人形方」が重要な役割を果たします。
3人の「人形方」は、熟練の技を駆使して、観衆に「稚児舞」を披露します。
ずっと以前は、生稚児を乗せていた「放下鉾」ですが、稚児人形に変わっても生き生きとした舞は見事でした。
【二十二番】「岩戸山(いわとやま)」 ☆「岩戸」の名は、天照大神の天岩戸伝説に由来しています。中国の玉取獅子図絨毯、インドの唐草文様絨毯が鮮やかです。「岩戸山」もくじ取らず。
山鉾の最後の役割分担は、「舁き方(かきかた)」です。
「蟷螂山」や「郭巨山」には、20名前後の「舁き方」がいて、山を曳きます。
以前は神輿のように担いでいたのですが、現在は車輪が取り付けられ、鉾のように曳く形になっています。
でも、くじ改めや辻回しの時には、山を担いで派手に掛け声をあげながら、山を威勢よく回すパォーマンスも見せてくれます。
ⅲ 「宵山」の晩
【二十三番】「船鉾(ふねほこ)」 ☆「くじ取らず」の前祭・フィナーレ。軍船モデルで、出陣船鉾と言われています。船首には、「げき」という、困難を乗り越える想像上の水鳥が輝いています。
山鉾巡行が行われる7月17日の3日前から、「宵山(よいやま)」と呼ばれる前夜祭があります。(後祭の巡行は、7月24日なので、宵山は21日から23日。)
3日前の14日は「宵々々山(よいよいよいやま)」、15日は「宵々山(よいよいやま)」、16日は「宵山(よいやま)」と呼ばれたりします。
″ 宵山のデートは本命?″ 、” 宵々山は二番手?? ″………京都の若者にとっても、祇園祭は ″ 勝負の祭 ″ なんですね。(笑)
ⅳ 編集後記
☆山鉾には、日本中の美術工芸や、海外から運ばれて来た文化や歴史が詰まっています。「2024祇園祭」では、″ タペストリーの神秘 ″について、お伝えできたらと思っています。
17日の前祭から一週間後に行われる後祭・山鉾巡行(24日)も楽しみです。
「橋弁慶山」、「南観音山」、「浄妙山」、「八幡山」、「鯉山」、「北観音山」、「黒主山」、「代行者山」、「鈴鹿山」、「鷹山」、「大船鉾」が登場します。
昨年、3年ぶりの山鉾巡行ができるかどうか、京都の街は、とても大変でした。そんな中、200年ぶりに復活した「鷹山(たかやま)」に、祭りファンの歓喜の声が湧きました。
平安神宮の七夕風鈴まつりは、8月31日まで見られます。
暑い京都の夏。
山鉾見物で少し汗をかいたら、平安神宮の七夕風鈴まつりに足を向けられては………。 大極殿のそばにある無数の風鈴から、涼し気な音色が聞こえてきます。