スケッチこぼれ話 Ⅳ
スケッチこぼれ話Ⅳは、第24回『京都水族館』(2023年6月9日投稿)から、第27回『山鉾巡行が帰ってきた!』(2023年7月12日投稿)までの取材秘話や失敗談を書き留めました。
第24回『京都水族館』(2023年6月9日投稿)
京都水族館は2012年にオープンした全国ではじめての「内陸型大規模水族館」です。
日本海の天橋立や舞鶴以外に海がない京都に水族館をつくるのは、とても苦労が多かったようです。
はじめて訪れた時、京都駅からそんなに離れていない場所にこんな空間があるのに驚いたことを覚えています。
館内は主に10のゾーンに分かれています。
オットセイとアザラシが回遊する空間、ペンギンやイルカスタジアム、クラゲワンダーも人気のスポットですが、京都らしい「京の川」や「京の里山」もじっくり水族館に滞在するとしたら、楽しい空間だと思います。
今回、ブログを書くのに、写真撮影のことをお聞きしたらOKとのことでした。
ただ、フラッシュは使えないので少しだけ撮影の場所が限定されるかもしれません。
実はもう一つ気がかりだったのは、果たして水族館に人が集まっているんだろうかということでした。
訪れた日は、コロナ禍の緊急事態宣言が明けて間もないタイミングだったんです。
予想は的中!! 開園5分前の水族館前はいつものような賑わいとは程遠く、人影まばらです。
水族館らしい活気はどこえやら、せっかくの取材も少し重いムードのスタートでした。
ところが開園して15分もすると、そんな心配も杞憂に変わります。
黄色や緑、赤色にオレンジの帽子の子供たちが、引率の先生連れられ館内に登場すると、水族館のムードは一変してしまいました。
ちびっこギャングは、カクレクマノミの水槽の前に来ると、一斉に声をあげます。
「ニモ!」「ニモがいる!」「先生、ニモだよ、ニモ!」
ディズニー映画「ファインディング・ニモ」に登場したカクレクマノミを見つけ、子供たちは大騒ぎです。(ここのところは、ブログに書きました)
水族館って、やっぱり子供たちが主役ですね。
取材当初、どんなテーマにしようかと試行錯誤していたのに、主役が決まり、いつの間にか筋書きも決まってしまいました。
第25回『源氏物語のあじさい寺』(2023年6月23日投稿)
梅雨の季節、ジメジメとする日常に気分転換の散歩と思っても、6月は春や秋に比べると意外に花が少ないんです。
そこで企画したのが、この季節ならではの花・あじさい。
20,000本のあじさいを見ようと、三室戸寺を訪れたのは6月中旬でした。
苑内のあじさいはちょうど満開。
ところで、この企画、桜井旬のちょっとした勘違いも重なってのスタートでした。
それは、こんなお話です。
ほんの2か月ほど前、『源氏物語を訪ねて』(2023年4月5日投稿)の中で、紫式部の世界をご紹介していました。
物語の全編54帖(じょう)の中で最後の10帖は宇治が舞台だったので、あじさいは源氏物語の世界とピッタリ重なって、その続編をと思い込んでの欲張った企画のつもりでした。
ところが、あじさいが咲く三室戸寺の与楽苑が完成したのは、1989年。
光源氏の子、薫の君や恋敵・匂宮が登場した頃には、まだ「あじさい寺」は出来上がっていなかったのかもしれません。
調べていくと、こんなことがわかりました。
「万葉集」の中で花の木が歌われるのは、一位・ハギ(141首)、二位・梅(118首)、三位・松(79首)、四位・たちばな(68首)、五位・さくら(50首)……。
あじさいは、わずかに2首だけ。
どうしてこんなことになったかというと、あじさいは、その昔、亡くなった人に手向ける花として、お寺の関係者や檀家さんのまわりで尊ばれていた花だったそうです。
貴族の歌の世界など、華やかな場で歌われる花ではなかったんですね。
鎌倉に臨済宗の明月院というお寺があります。
戦後、物資や人手が不足したおり、お寺の参道を整備する杭がなかったので杭の代わりにあじさいを植えはじめました。
今では、″ 明月院ブルー ″ と呼ばれ、あじさいの名所になっているんです。
いつもブログを書き始める時、素人の思いこみで、″ こんな展開にしよう″ とスタートします。
そして、終わってみると、予想外の結末になってしまう。今回の『源氏物語のあじさい寺』も、立派にその一つ分類されました。(笑)
第26回『愉しむ!祇園祭』(2023年7月7日投稿)、『山鉾巡行が帰ってきた!』(2023年7月12日投稿)
京都の三大祭りというと、5月15日の葵祭(あおいまつり)、7月1日から31日の祇園祭、10月22日の時代祭です。
中でも祇園祭は、東京の神田祭、大阪の天神祭と並んで日本の三大祭りに数えられるお祭りです。
1日の吉符入りから31日の疫神社夏越祭までの1ヶ月、暑い京の街は祇園祭一色になります。
一番の見せ場は、山鉾巡行です。
前祭の23基の山と鉾が7月17日、後祭の11基の山と鉾は7月24日に、四条通、河原町通、御池通を巡行します。
祇園祭の起源は、平安時代の863年。
実は、ずっと続いていた祭りが何度かストップしたことがありました。京都が戦火に包まれた応仁の乱の33年間、第二次世界大戦の時。
そして記憶に新しいと思いますが、コロナ禍の2020年から2021年、平和な時代にまさかこんなことが起こるとは、誰も想像しませんでした。
八坂神社にあるオオクニヌシノミコトと因幡のシロウサギも、その間ずっとマスクをしたままだったんです。
2022年、三年ぶりに祇園祭が京都に戻ってきた時、京都の街はこの「三年ぶり」という言葉が街中に溢れていました。
写真は、7月2日の京都市議会の様子。
山と鉾が巡行する順番を決める「くじ取り式」に羽織袴で参列する大人たちの熱気も、どこか微笑ましく感じられます。
今年のくじ取り式も、あともう少ししたらやって来ますね。
ところで、待ち遠しい巡行をどの場所で見るのか、これは祇園祭、一世一代の難問です。
前祭の17日、23基の山鉾はピンク色の行程で巡行します。四条通を通って河原町通へ、そこから北へと進んで御池通を西へと。
後祭の24日、11基の山鉾はみどり色の行程で、今度は御池通を東へ河原町通を南へ進むと四条通へと入っていきます。
四条通の盛り上がりは、巡行の雰囲気を楽しむのにもってこいですし、大きな山鉾が回転する「辻回し」が見られる河原町通も押さえておきたいところです。
穴場は御池通。
山鉾の日は有料の観覧席が設けられるのですが、御池通だったら、広い歩道から人混みを離れ、優美なその姿をしっかりと目に焼き付けることができます。
ぜひ、作戦を立てて巡行を愉しんでください。
ブログ『山鉾巡行が帰ってきた!』の中で、山鉾町内で宵山(よいやま)に販売される「ちまき」のお話を書きました。
疫病除けや火災除けのお守り「ちまき」には、町内ごとに色々な思いがあります。
宵山の晩、ちまき売りの子供たちの掛け声を聞きながら、駒形提燈に照らされた町内を散策するのも祇園祭の愉しみの一つです。
「京都スケッチ」ではまだ実現していないのですが、祇園祭の前夜祭のような宵山のお話。
調べるといろいろ出てきそうです。
山鉾に飾られるタペストリーの神秘も機会があったらお届けしたいと思います。
宵々山(2日前)、宵宵々山(3日前)のデートは「友達以上恋人未満」、クリスマス・イブならぬ、祇園祭・イブ=宵山デートは「本命の恋人」とか??……お祭りが生活に溶け込んだ京都っ子らしいお話もたくさんあります。
前祭の山鉾巡行(7月17日)を見逃しても、後祭(7月24日)も待っています。ぜひお時間を作って出かけられてはいかがでしょうか?