春の七草探し
春の七草探し、はたして上手くいくのでしょうか??
ⅰ 師走とお正月
陽だまりが恋しくなる師走、「ニシン蕎麦」のブログを書こうと思い立ち、四条大橋のたもとにある松葉さんの暖簾をくぐりました。
松葉さんは1861年(文久元年)に創業されたニシン蕎麦のお店です。1861年というと、幕末、安政の大獄や桜田門外の変があった時代でした。
常連客の方も多く、みんなお目当ては、ニシン蕎麦。湯気がもくもく上がって美味しそうなお蕎麦を早速いただきました。(お汁の味がとってもコクがありました!)
お店を出て、ふーっと深呼吸すると、見上げた青空に、綺麗にお化粧された「まねき看板」がずらり。
そばにいたご婦人が、「事始めやねー」とポツリ。
何となく気になったその言葉を後で調べてみました。
ご婦人が「事始め」と言ったのは12月13日の″正月事始め″のこと。昔から、正月事始めの日にお正月の門松や、お雑煮を炊く薪を山に取りに行く習慣があったそうです。
京都では、この日から一年のすすを払う大掃除が始まります。その後も、綺麗になった家に新しい年神様を迎えるための、正月飾りやおせち、お雑煮の準備と家人はひと息つく間もありません。
たまたま松葉さんを訪れたあの日が、13日の事始めの日にあたりました。
ところで、南座では11月25日に、年末に行われる顔見世興行のため、出演する歌舞伎俳優の名前が書かれた54枚の看板を飾るそうです。
ご婦人のように、このまねき看板を見て、師走感じる京都人は多いそうです。
やがて、25日の北野天満宮の終い天神、31日の下鴨神社や平安神宮、伏見稲荷の大祓・除夜祭、八坂神社の「をけら詣り」と続いて、新しい年がやってきます。
新年を迎えると、神社やお寺は初詣の参拝客で大忙しです。
京都には、神社が1700ちょっと、お寺が3000ちょっと、あります。
これだけたくさんお参りするところがあるのですが、全国から参拝客が押し寄せるので、どこの神様や仏様も大忙しです。
だから、神様や仏様も正月中は休日出勤。私たち人間も、おせち料理にお雑煮、お酒と、胃は休日出勤ですね。笑
実は、今回のテーマ「春の七草」が上賀茂神社などで振舞われる1月7日の七草粥も、お正月の食べ過ぎで少しお腹を休めましょうと、そんな心遣いもあると聞きました。
この風習が伝わった中国では、「人日(じんじつ)」(1月7日のことをいいます)に、7種の若菜を熱々の吸い物にして食し、邪気を払うという風習もあったそうです。
中国の風習と、日本古来からあった「若菜摘み」が、今の習慣を形作ったのかもしれません。
ⅱ 春の七草
壬生菜(みぶな)
七草粥の会から二週間ほどたった1月22日の日曜日、春の七草を見ようと京都府立植物園を訪れました。
この日の最高気温は8.5度、最低気温は―0.6度。京都盆地の北に位置する植物園は、肌寒くまだ春遠い様子。
それでも、野菜園の壬生菜や水菜は、今が旬な感じで美味しそうでした。
水菜
食卓に並ぶ野菜の中をくるくる回りながら、春の七草を探します。
でも、どこにも春の七草が見当たりません。先程、「″四季彩の丘″で見られます」と職員の方がくれたMAPを探すのですが、どこにも七草はないのです。
聖護院かぶ
七草を探していたら、聖護院かぶと桜島だいこんを見つけました。直径が30cm以上はありそうです。(これで、あの『大安』さんの千枚漬けができるのかな………。)
伏見寒咲花菜(ふしみかんざきはなな)
すぐそばに、伏見寒咲花菜も見つけました!
名前のとおり、可愛らしい菜の花です。京都では、この菜の花のお浸しを春の朝食に出すって地元の人に聞いたことがあります。
??? (いやいや、そんな場合じゃあ、ないって! 春の七草見つけないと……。ふっと、小学1年生の頃に、先生から「はい、まっすぐ前を見て歩きなさい!」そんな風に怒られたことを思い出しました……。ついつい、いろいろなところに………笑)
しばらく菜園の中を歩き回ったのですが、七草はどこにも?? 遠くで木の手入れをしていた職員の方のところまで走って、尋ねてみました。
教えていただいた場所へ……もう一度。
戻ってみると……ありました、ありました‼!! ほんの畳一枚ぐらいのスペースに春の七草、発見‼ スケールの大きいほかの野菜に気をとられ、すっかり見落としていました。七草は冬空にしっかりと根を張ってじっと暖かくなる日を待っているかのよう………。
それでは、その証拠写真(笑)ともに、少しだけ、春の七草のことを調べたので読んでください。
セリ セリは、別名シロネグサとも呼ばれるセリ科の植物です。春から夏までの日が長い季節は、泥の中や表面を横に這うように根元から白く長い匍匐枝(ほふくし)を多数伸ばして、秋から冬の日が短い低温期は、地面に重なり合うように葉を広げます。
競り合うように生えていることから、この名がついたそうです。「競り勝つ」という意味から、縁起物の食材とされています。栄養価が高く、独特の香りが食欲を刺激するそうです。
ナズナ ナズナは、麦栽培の伝来とともに日本に伝わったとされる植物です。ナズナはぺんぺん草とか、三味線草とも呼ばれています。
花の下についている果実の形が、三味線のばち(弦楽器の弦をはじくための道具)に似ていることが、この呼び名に由来します。道端に生えているので雑草と思っている人も多いとか。早春に開花して夏に枯れるので「夏無き菜」とも呼ばれています。
ゴギョウ ゴギョウはハハコグサとも呼ばれるキク科の植物です。秋に発芽し、冬は写真のようにへら形の白っぽい根出葉が地面に張り付くように広がり、春になると茎をのばして草丈は15cmから40cmになるそうです。
「仏体」を表す縁起物とされ、明治の頃は草餅の食材として使われました。お茶にして飲むこともあり、咳止め・痰きり・喉の炎症・利尿・むくみに効果があるとされています。
ハコベラ ハコベラ(繁縷)は、ハコベとも呼ばれるナデシコ科の植物です。「繁栄がはびこる」として、縁起のよい植物とされています。
中国では古くから薬草として使われ、効能は七草の中でも多く、利尿作用・止血作用・鎮痛作用をはじめ、歯槽膿漏の予防薬としても使用されました。生垣の脇や道端に自生し、春の若い茎葉を茹でてお浸しとしても食卓にのります。
ホトケノザ ホトケノザ(仏の座)は、キク科の植物です。湿地を好み、写真のように初春はロゼット葉を広げて地面に這いつくばった姿をしています。
名前から縁起物として伝わり、健胃・整腸作用、高血圧予防などの効果もあるとされています。
スズナ スズナの正式名はカブ(蕪)で、アブラナ科の植物です。スズナは「神を呼ぶ鈴」として縁起物とされてきました。
古代中国やギリシャの史料にも登場し、古くから人々に食されていました。カブは便秘・胃潰瘍・胃炎・風邪・骨粗鬆症・がんの予防に良いとされています。
スズシロ スズシロは、現代では大根としておなじみの食材です。その根は「汚れのない純白さ」を表しているとされ、スズシロと呼ばれるようになったとされます。
栄養素としては、ビタミンA、C、食物繊維、ジアスターゼ、アミラーゼ、フラボノイドが含まれ、根と葉両方に栄養が詰まっています。
北山駅から京都に戻る車中、ずーっと考えていました。お正月の7日に、上賀茂神社や御香宮神社で行われた七草粥の会。それは今日(1月22日)から、二週間前のことです。
植物園の七草は、これからもっと根を張って大きくなるところ。どうして、七草粥って、お正月7日とか、そんなに早い季節に振舞われるの?
ⅲ 旧暦と新暦のお話
春の七草と季節のことに思いをめぐらしていたら、旧暦と新暦のことを書いた本を見つけました。
最後は、そこからのお話です。
皆さんは、月の満ち欠けカレンダーをご覧になったことがありますか?
写真のように、お月様が満月になったり、三日月になったりしているカレンダーです。「リブロリア・ネット」さんが販売している卓上カレンダーの1月、2月、3月を写真に撮って掲載してみました。(このカレンダー、月の満ち欠けの黄色が背景の真っ暗な夜空に綺麗に見えます。www.libroria.net 540円とお求めやすい価格でした! )
京都の神社では、お正月に、神前に七草を供え、無病息災と五穀豊穣を祈願します。多くの神社は、1月7日に七草粥が振舞います。
このしきたりは、平安の時代から続けられてきました。明治になって、暦が旧暦から新暦に変わっても、ずっと、この1月7日は守られて来たんですね。
もう少しお話すると、日本では、明治5年に新暦に変わるまで暦は旧暦を使っていて、旧暦だと、1年は354日しかないので、当時のヨーロッパが採用していたグレゴリオ暦(新暦)の365日よりも11日短くなっていました。
これは、3年でおよそ一か月ぐらいのズレ。旧暦を採用していたときは、このズレを解消するために、3年に一回、閏月(うるうづき)を入れ、1年を13か月としていたそうです。
なんだか、頭がこんがらかってしまいますが、もう少しだけお付き合いください。
写真の月の満ち欠けカレンダーは、日時は今の新暦の数字です。そして、月の満ち欠けは旧暦を表しています。そうすると、旧暦の1月1日はどこか?という疑問がわきます。旧暦の1月1日は、新月の日。お月様が地球から見えなくなった日のことです。新暦の数字で1月22日のところに赤字で「新月」と書かれているところ、わかりますか?
この日が旧暦の1月1日なんですね。
だとすると、もしも2023年が旧暦で動いていたら、七草粥が振舞われる日の1月7日は、新暦の1月28日あたりになります。
(ちなみに、旧暦では、新月の日が1日なので、新暦の2月20日と3月22日が、それぞれ、旧暦の2月1日、3月1日になります。)
ちょっと、ほっとしました! 新暦の1月28日頃(旧暦の1月7日)だったら、セリやナズナやゴギョウも、もっと緑の葉を大きく伸ばしていますね。
伝統を守って、1月7日に七草粥を振舞われる神社の主催者の方々、ご苦労様でした!
ⅳ 編集後記
明治5年に、暦が旧暦から新暦へと変わった時、当時の人は大変な苦労したそうです。それでも、新暦を導入した背景には、こんな考えがありました。
当時、明治政府の参議であった大隈重信が、ひっ迫していた財政状況を何とか救おうとして行った新暦導入の経緯です。
旧暦のままでは明治6年は閏月があるため、13か月となる。すると、当時支払いが月給制に移行したばかりの官吏への報酬を、1年間に13回支給しなければならない。これに対して、新暦を導入してしまえば閏月はなくなり、12か月分の支給で済む。また、明治5年12月は2日しかないことを理由に支給を免れ、結局月給の支給は11か月分で済ますことができる…………。(大隈重信の回顧録『大隈伯昔日譚』)
産声をあげたばかりの小さな国「日本」は、なんとか欧米列強に追いつこうと一生懸命でした!
梅「八重寒紅」
植物園を出ようと水琴窟(すいきんくつ)のそばを通ったとき、小道の向こうに梅林を見つけました。
赤と白の梅がほんのわずか花を咲かせていました。満開まではまだ時間がかかりそうです。
梅「香篆(こうてん)」
北野天満宮さんの1500本の梅も、あと2週間ぐらいしたら満開ですね。梅の香りを楽しんだら、次は、醍醐寺さんの桜へ。
まだまだ……春は続きます!