京都駅の青春。。
ⅰ ここはどこ?
赤い鉄格子の向こう側。
マジックミラーやアルミパネルで固められた幾何学的なデザインに、電飾や発光ダイオードの幻想的なイルミネーション。
トム・ホランド演じるスパイダーマンが、今にも飛び出してきそうな都会の夜景。
実はこの写真、京都タワーの展望台から撮影した京都駅とホテル、百貨店の全景です。
2024年4月、ニデック京都タワーと命名されたばかりの京都タワーですが、タワーが誕生したのは、1964年。
修学旅行や京都観光で、タワーに登られた記憶のある方もいらっしゃると思います。
ところで、この京都駅、昼間はこんな感じの建物でした。
やっぱり、どこか ″ 駅らしくない駅 ″ ですね。
今回は、この京都駅をテーマに、『京都駅の青春。。』をお届けします。
どうして、″ 青春 ″ なのか、ぜひ、編集後記も読んで頂けたらと思います。
さて、京都駅は大阪と並ぶ西日本の玄関口です。
そして、今や一年中、世界中から観光客が途切れることがありません。
新幹線の他に、東海道本線、山陰本線、奈良線などのJRと近畿日本鉄道や市営地下鉄烏丸線もここを起点として運行されています。
一日の乗降人員は、60万人ぐらい。大阪駅の87万人と比較しても、けっして引けを取らない大きなターミナル駅です。
でも、今の駅舎が「四代目」だということは、意外と知られていないかもしれません。
ⅱ 初代駅舎から三代目まで
「初代」から「三代目」までの駅舎は、こんな感じでした。
初代駅舎ができたのは、1877年(明治10年)。
梅小路にある京都鉄道博物館のジオラマを見ると、その頃の様子がわかります。(https://www.kyotorailwaymuseum.jp/)
赤煉瓦のモダンな建物と、西洋風の窓。駅前には、人力車が電車の到着を待っていますね。
初代駅舎は、現在の駅舎よりも少しだけ北側、七条通に面していたので、当時は「七条ステーショ」とか「七条停車場」と呼ばれていました。
これは、駅員の人が切符を売っていた職場の様子です。
現在のように乗り降りする人があまり多くなかったのか、とてものんびりとした雰囲気が伝わってきます。
鉄道を利用して移動することが珍しかった時代、初代駅舎の完成祝賀会に明治天皇も来られたようです。
このシャンデリアは、その頃の広島駅の貴賓室に飾られていたものですが、初代駅舎も今では想像がつかない特別な空間だったんだと思います。
明治の新しい時代の中で、京都駅を通過するレールも、1895年の奈良鉄道(現在の奈良線)、1897年の京都鉄道(現在の山陰本線)と、どんどん伸びていきました。
市内には街を縦横に走る路面電車も整備され、天皇のお住まいがあった都は、新しい都市へと変わっていきました。
セピア色の二代目駅舎は、初代駅舎よりもっとモダンな感じがします。
この駅舎ができたのは、1914年(大正3年)、大正天皇の御大典にあわせて完成したようです。
実は、初代駅舎よりも南に移ったので、今の京都駅に近い駅前広場の空間が生まれました。
ジオラマには、路面電車も登場しています。
ちょっと気になったのですが、駅前に停まっているのは、ボンネットバスでしょうか?
大正という近代化の薫りをのせた二代目駅舎に、悲劇が襲ったのは、建設から35,6年経った1950年(昭和25年)11月の早朝でした。
駅舎食堂の従業員更衣室のアイロンを切らなかったことが原因で、火はあっという間に燃え広がり、駅舎は全焼してしまったんです。
この頃の実話を記した「JR京都駅改革小史」(平成16年2月15日号)にこんなことが書かれていました。
※二代目京都駅の火災写真(京都市消防局ホームページから)
当時、火災の早期発見はとても大切な課題で、消防署は鉄骨製の「望楼」という火の見櫓から周辺の監視をしていました。
京都駅にはすぐ南側に関西電力の塔屋があったので、火災の発見は問題ないと思われていたそうです。
ところが真下に見えるはずの京都駅は、出火が屋根裏を延焼し続けたため、発見が遅くなり気がついた時には手遅れになってしまいました。
二代目の駅舎が全焼してしまった後、3代目の駅舎はおよそ一年間の突貫工事で1952年(昭和27年)に完成します。
※駅舎の写真は、『京都駅物語』(淡交社 荒川清彦著から)
鉄筋コンクリー造の2階建て、中央には火災の教訓なのでしょうか、8階建ての塔が建てられました。
駅舎に近い一番乗り場は、将来の電車化を見据えて、30cm嵩上げするなどの工夫もほどこされたようです。
初代駅舎ができてから100年ちょっとの間に、京都駅は三代の歴史を歩んでいたんですね。
ⅲ 四代目駅舎の誕生
桓武天皇が京都に都を置いたのが、794年。それから1200年の月日が過ぎようとする頃、四代目・京都駅の建設は、その記念事業としてスタートしました。
1985年(昭和60年)、京都府・京都市・商工会議所・JRが参加した京都駅改築協議会が設立。
コンペ審査会は世界の著名な建築家7名の中から、原廣司案を採用することになりました。
たくさんの魅力が詰まっている四代目。ここで少しだけ、その様子をお伝えします。
複合ビルと一体になった建物の延床面積は237,700㎡。そのうち、駅施設は12,000㎡、ホテルが70,000㎡、複合商業施設が88,000㎡、文化施設が11,000㎡です。(☆建物には、ホテルグランヴィア京都、ジェイアール伊勢丹、ザ・キューブ、シアター1200などが入っています)
あれっ?と思われた方もいると思いますが、肝心の駅は、全体の5%ほどしかないんですね。
でも、そのスケールは目を見張るものが。
この写真を見てください。駅の中央コンコースの天井の高さは45m、長さは147mもあります。
そこには、4000枚のガラスで覆われた高い吹き抜けの空間が広がっています。
コンコースからエスカレーターを上がると、京都市街を一望できる空中経路や南遊歩道に通じます。
写真の真ん中に青空が見えますか?
そばまで行って見ると、こんな世界が広がっていました。
伊勢丹デパートのエスカレーターに沿って造られた階段の数は171段。
手前の室町小路広場を舞台に、大階段を観客席としていろいろなイベントが開催されています。
階段の一番上まで上がると、大空広場。この高さは54mなので、東寺の五重塔の先端55m視界に入ってきます。
何から何までが規格外の京都駅。建設当時から、いや、もしかしたら今も、その評価に賛否が分かれるのかもしれません。
特に、計画が進められていた当時は、京都・まちづくり市民会議などが中心になって、激しい反対運動が起こりました。
京都の景観が悪くなると、京都仏教会が反対したニュースを聞かれた記憶のある方もおられると思います。
ⅳ 編集後記
いろいろなところが ″ 駅らしくない駅 ″ なので、建設計画当時から様々な波紋が広がった四代目。
最後は、平安京の都が出来た794年の街に山陰本線を載せた地図をご覧ください。
山陰本線は、京都駅を出発し、鳥取や松江を通って下関へと至る全長673.8kmの鉄道です。
レールは京都駅を出発すると、かつて朱雀大路があった場所をまっすぐ北へ向かい、天皇のお住まいなどがあった大内裏に少し入ると、西へと走っていきます。
本線の開業は1897年。この鉄道が敷設された頃、都の面影はあまり残っていなかったかもしれません。
天皇が東京へとお引越され、京都の人は都の郷愁に立ち止まっていることも出来ず、変化の波を幾度もくぐり抜けてきました。
初代駅舎の建設、街の都市計画や路面電車、そして南禅寺の境内の水路閣建設………など。
四代目の京都駅建設は、京都の人にとって、一難去ってまた一難だったのでしょうか。
先程の171段の大階段では、クリスマスシーズン、写真のようなイルミネーションイベントが開催されていました。
″ 駅らしくない駅 ″ の、でも京都らしい風景です。
2024年、平安京が誕生して1230年。初代の京都駅舎ができてから、まだ147年です。
京都駅は、まだまだ青春の真っただ中。
100年後、ここを訪れる人も、きっと先人のアイデアを愉しんでくれると思います。